残日に・・・
3年ぶりに日本に帰って来て、もう半月。
これまで忙しく用事を済ませてきたが、ようやく目途がついてきた。
妻子は別の親戚宅を訪問していて居ないし…。
ひょっとして、行けるか。
北海道に。
行くとしたら、あれからもう7年になるだろうか。
思い立ったら行動は早い。
すぐに飛行機のチケットを予約する。直近なので少々高いが、気にしても仕方がない。
神戸空港から札幌の新千歳空港に着くのは夜。
北海道に滞在できる時間は、ちょうど24時間だ。
空港から快速エアポートに乗って、ここはおぉ、札幌だあ!
まだ目的地でもないのに、札幌に来るだけでもう感激してしまう。
どんだけ北海道が好きなんだと思いつつ、旭川行きの高速バス最終に間に合うよう急がなくては。
高速バスで旭川まで来たはいいが、もう0時近い時間である。
今夜はここまでだな。
近くのネットカフェまで歩いて夜を越そう。
旭川の買い物公園通りも久しぶりだ。
深夜でも活気が衰えない札幌とは違って、この時間の旭川はもう誰も歩いてないんだよな。
以前は駅前にあったデパートもなくなり駐車場に変わっていて、景色もちょっと寂しくなったか。
昔、そのデパートの前のベンチで野宿したことあったなあ。秋口で気温7度で寒くて寝づらかったことをなんとなく覚えている。でもなんであんなとこで野宿してたのかは忘れた。
ネットカフェで一晩寝て、翌朝早くに出発。
いやーネットカフェってのも実に久々で楽しかったよ。無料のソフトクリームと温かいコーンスープをひたすら交互に摂取して大変快適に過ごさせていただいた。やっぱり日本は便利でいいな。
さて、旭川名物のロータリーを横目に見つつ、足早に駅まで歩いて戻る。
北海道の朝は涼しくて実にいいな。
待ってろよ美瑛。
よし。帰ってきたぞ。美馬牛。
特に何も変わっていない。駅周辺はほとんど記憶のままだ。
赤い屋根の家もまだあったよ。
まだ取り壊してなかったのか。誰も住んでいないのによく雪の重みで潰れないものだ。
まあ無事で何より。
ライダーハウスGOもまだそこにあった。
今も誰かが住んでいるようだ。
この建物ももう20年ぐらいはここに建っているはずで、プレハブでも結構丈夫なんだなと感心する。
内部は今も当時とほとんど変わらない。
今にもライダーがふらっとやって来て、荷ほどきもそこそこにソファでくつろぎ始めそうだ。
しかし、宿帳を見ると最新の書き込みでも3年前だった。
この五右衛門風呂も最後に使ったのはいつだったろうか。
コンクリートの壁作りを手伝った時のことは今でも覚えている。
遠くにちらっと見える「人生の楽天地」(だったか?)は今でも営業しているのだろうか。
次のミッションは、お久しぶりの地元民ヨッシーと再会し、7年前彼に売りつけた俺の元愛車、クロスカブを借り受ける。
そう、レンタルバイクだ。
そしてまず、何はなくとも丘を走る。
実はバイクに乗るのも7年ぶりだ。
最初は少々手間取ったものの、長年乗ってきたカブの乗り方だけは忘れるハズもなかった。
でも、乗っててちょっと怖い。特にブレーキの効き。よくこんなのブイブイ乗り回してたなあと。
今日の美瑛は一日中雨の予報。
バイクには乗れないと諦めていたのだが、見てのとおりギリギリもってくれた。
時間もあまりないのでヨッシー以外の誰にも会うつもりはなかったのに、美瑛の町でひとりたまたま知り合いに出会ってからは、芋づる式のように昔なじみの人々に会うことができた。
ちょっとびっくりするぐらい色んな友人知人と再会し、話をした。
そしてヨッシーにバイクを返したところでちょうど雨。完璧なタイミングだ。
そのあとは、ヨッシーのクルマでのんびりと新千歳空港まで送ってもらうことに。
上富良野で一応季節モノのラベンダー畑を見たり。
ノロッコ号に遭遇したり。
昔はなかった建蔵という古民家ラーメン屋でラーメンを食ったりした。
ちなみに北海道滞在中に食べたマトモなメシはこれだけである。
ヨッシーとN‐BOX。日本でバカ売れというだけあって確かに良いクルマである。
日本の軽自動車文化って本当にいいよな。
軽トラやワンボックスにカブを収納して走り回っていた頃、その万能感はもはや神の領域に近いものがあった。
ふたたび夜の飛行機に乗り、気づいたらもう神戸に戻って来ていた。
まさしく、あっという間の24時間である。
楽しかった。7年ぶりの北海道。
変わったことと変わっていないものがあった。
俺は俺であちこち変わったはずだが、子どものお世話という日常から離れて、昔と同じ気分を取り戻した貴重な時間だった。
ちょっと無理をしてでも北海道まで行った甲斐は充分にあったな。
次はいつ行けるかまったくわからないが。
帰りたい場所が、いつもそこに存在してくれているというだけで、こんなにありがたいものなんだ。
そう気づいたよ。