アルマ避難記
今年もハリケーンが来るというので、公約どおり逃げることにする。
今度のアルマちゃんは去年のマシューおじさんとは比較にならん規模らしいので逃げ甲斐はある。
今回ばかりは近所の誰にも笑われないだろうよ。
では北に向けて出発ー。
はい、まずはフロリダ北端のタラハシーという街のモーテルで一泊。
去年は直前にホテルの予約がまったく取れなくてアラバマ州くんだりまで移動するハメになったが、学習した俺は今年は迅速に行動してホテルの予約を取っておいたのだ。
しかしまあ、普通なら6時間で行けるところが11時間もかかった。
渋滞がひどかったのだ。
まだハリケーン到着予定三日前なのに、フロリダ中南部から相当な数の人々が逃げているようだ。
非常時につき高速料金が今回もタダなのはありがたい。
ああ疲れた。もう寝よ。
翌日は、タラハシーからさらに北上してジョージア州に入る。
一輪車の旅の時にお世話になったフィル一家が呼んでくれたのだ。
しかしこの道、懐かしいな。
方向は反対だが、3年前に一輪車で通ったのと同じ道である。
おお、スターモーテル!
コルキットの町にあるおそらく唯一のモーテル。
まだあったのかー。
あの時は夜中に一輪車で偶然たどり着いたんだよな。
これがなければ野宿必至だった。
野宿自体は別に構わないんだが、確かこの時は大量の羽虫がいて辟易していたのだ。
エジソンの町にあるこの店もまだあった。
インド人の店員にモンスターエナジーを3本タダでもらってインド人の思わぬ優しさに感動したのはいいが、そのエナジードリンクを一気に飲みすぎて翌日体調が悪くなったアレだ。
この兄ちゃんだ。今もいるんだろうか。
今回はあえて中に入っていない。
向こうも覚えてないかもしれないし、こっちも当該兄ちゃんの顔を認識できる自信がまったくなかったからだ。
ひたすらアップダウンが続くジョージアの地獄の道、マーサベリーハイウェイ。
クルマだと速いこと速いこと。
まあなんというか、クルマと比較してはいけない乗り物なんだな。
さて、着いた。フィルの家だ。
去年のハリケーンの時もちらっと寄ったが、ここは変わらない。
今回は数日間の逗留になりそうなので、幸子さんが以前住んでいたこのキャンピングカーに泊めてくれるそうだ。
幸子さんは去年、転倒して骨盤を骨折して手術して以降、安全のために母屋のほうで生活している。
おひさしぶりの幸子さん91歳。
思ったよりも元気そうで何よりだ。
もうアメリカにひ孫が何人もいる状態で、よくぞ異国の地でこれほど血脈を増やしたものだと素直に感心する。
幸子さんの娘でフィルの嫁ダッティ。
日米ハーフなのにまったくハーフに見えないところがポイント。
子ども好きなのは大変ありがたいのだが、いきなり土足上等のカーペットの上に赤ちゃんを寝転がしてワイルドにあやし始めるのでカルチャーショックを受ける。
これがジョージア流の子育てなのか…。
一族が現れても誰も指摘しないので、やはりこれがジョージア流子育てなのだろうと納得した。
まあいいや、夏休みだと思って逞しく成長してくれ。
幸子さんのひ孫その4のコーツももう14歳か…。
あの時はまだちっちゃかったのに、もう俺の身長に届きそうなぐらいになっている。
次会った時にはきっと抜かれているだろうから今のうちにエラそうにしておく。
そんなことよりコイツ、異様なぐらい赤ちゃん好きなことが判明。
最初は義理で相手してくれているのかと思ったが、これ以降毎日数回、呼んでもいないのに出現しては赤ちゃんと遊んでいた。
最近料理にも目覚めたらしく、ケーキだのホームメイドピザだのも作っておった。
非常にまっすぐに育っていて俺としては嬉しいのだが、何かある意味心配だ。
ジョージアの洗礼その2。
キッチンのシンクで風呂。
そして唐突に始まった離乳食。
離乳食は少しずつ計画的に始めるつもりだったのに、成長して燃費が悪くなってきた赤子を見て子育てのプロたるおばさま方が離乳食を提案してきたかと思ったら、なし崩し的に粥だのバナナだのを食わせることになった。
まあ意外に違和感なく食べてくれているようなので良しとする。
お腹が減ってたんだねえ。
肝心のハリケーンはジョージアまで来るとさすがに弱まり、まあこの程度で済んだ。
ジョージアでも一部のガソスタが売り切れになっていて、水を買おうと店に寄るとボッタクリ価格というところもあった。
こういう時にボッタクるとその時よくても後が怖いぞ。
こうしてアルマちゃんを無事にやり過ごすことができたわけだが、ウチの停電がまだ復旧していないらしい。
ということで、週末はフィルの別荘に連れて来られることに。
湖畔のトレーラーハウスとは聞いていたが、思ったより全然ちゃんとした家だな。
なぜかビーチらしきものもあるここは、アラバマ州のレイクマーティンという湖だ。
調べると琵琶湖の四分の一ぐらいの面積がある広い湖らしい。
この湖の周囲には家やらトレーラーハウスやらがたくさんあり、おそらくこの湖に別荘を持つのはこの辺の人たちのステータスなのだろう。
しかしそんなことよりすごいのがこれ。
ボート!
新品(新船?)で700万ぐらいしたらしい。
おそろしい。
これが免許なしで乗れると聞いてもっとおそろしくなった。
さらに釣り用のボートやジェットスキーまで。
この一家は本当に何がしたいんだろうな。
俺ならこんなものを買える金があってもあることを忘れてひたすら家で寝ている。
フィル「バーベキューを焼くのは男の仕事なんだ。理由は知らない。」
ところで肉に味付けをまったくせずただ焼くだけなのは何故なんだ。
俺としてはそっちの理由のほうが知りたい。
さあ、ついにボートに乗せてもらう瞬間がやって来た。
船というよりは高級車みたいなインテリアで座り心地が非常によろしい。
スピードは大して出ない設計なんだろうな。
操縦系統はどう見てもクルマ。
さすがは免許いらずのボートだ。
一応参加自由の講習みたいなものはあるらしい。
保険とかどうなってるんだろう。怖くて聞けない。
エンジンはヤマハの3500ccぐらいの4スト。
アメリカではボートのヤマハとか建機のコマツとかイスズのトラックとかが地味にがんばっている。
乗り心地は揺れもせず快適そのもの。
赤ちゃんですら操縦できるという噂だ。
夕刻のクルージングは実にオツなものであった。
風がちょっと冷たかったのだが寒がっていたのは俺だけで、他の人々は皆平気そうであった。
この時俺は、英語で寒がりのことを cold-natured と呼ぶことを知る。
散々 cold-natured 呼ばわりされたわけだが、繊細な俺の身体を hot-natured 集団なんかと一緒にしないで欲しい。
後はそうだな、仕上げにやっぱりフィルと自転車に乗ってトレイルを走って来た。
ハリケーン絡みで二週間以上テニスができずに運動不足だったのでちょうどよかったぜ。
そんな感じで、非常事態とは言え10日間もフィル宅でお世話になってしまった。
この家族には本当にお世話になりっぱなしである。
赤子も初めての知らない環境に来て、わんぱくでもいいから逞しく育ったようで結構なことだと思う。
ところで。
ハリケーンからの避難のはずが行楽のようだった、ということで、
「Evacuation(避難) に来たのに Vacation(休暇) になっちゃったよ!」
と、聞こえていないようなので何度か言ってみたのだが、ネイティブからの反応は特になかった。
また何か変なことを口走ってしまったかもしれない。