常識のバイアス

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今日はおもむろに、
めんどくさそーなコブは跳び越えてしまえ!
というテクを掴んだぜ。

今までモーグルコースなどで、
あの波線状に下まで延々と続く深い谷の溝に集中して滑り、かつ無数の爆裂を繰り返してきたが、

「ムリっぽい時は山ごと跳び越せばいいんじゃないの?」

と思いたったことから急に展望が開けてきた。
そしてむしろ、適当に跳びながら降りてきたほうが、
わりとモーグルっぽいラインで滑れてたりする。

スキーやボードに興味がないとかわからない人も多いだろうから要約すると、
ふってわいた発想の転換でまたひとつレベルアップできたというわけだ。

モーグルを深い溝を基準に滑ろうとしていた妙な思い込みに気づいて、これを修正。
これは今日たまたま偶然に気がついたわけではなく、
それに気がつくための準備が整っていたから起こったことだと思う。つまり必然的。

なんか今日はいつにもましてヘタだ、と感じた時、
それはたぶん、身体の中でまた一つ何かが発達している時で、
現状の自分に満足できないというその気分は、自身を見つめる審美眼が豊かになったからに違いない。

こういう時、人は伸びる。
そしてその時、人は興奮する。

でもやがてその興奮も冷め、興奮したことも忘れ、
後にはまた一段成長した心身だけが残る。

これはスキーやボードだけに限らず音楽、生き方、とにかくすべてに通じそうな成長の過程だ。

実際俺もこいつを発見した時は有頂天だったが、今は正直そうでもない。
うまい人ならみんな普通にやってることだし…と冷静に思う。
これもまた、自分の感覚が豊かになった証拠だと思う。

そんなわけで、
興奮が冷めると忘れてゆく程度のことを、あえて書き記した。
誰の役にも立たんだろうが、たぶん俺には意味がある。

ところでこう書くと俺がまるで急に上級者になったかのようだが当然そうでもなく、
その後はコブを跳び切れずに爆裂して知らないおじさんにスキーを拾って来てもらったり、
そういえば昨日クラッシュして延々と流れ落ちた急斜面の同じところで調子に乗ってまたブッ飛び、
昨日比2.35倍ぐらい遥か彼方まで流れ落ちたりした。
昨日の写真より遠くの木が小さいのが味わい深い。
しかも今度はスキーは一緒に流れず現場に残っていたため、
急斜面をやたら不毛な登山活動をして取りに行くハメになった。
こういう行為を俺用語で「青春」と言う。
後でゴンドラから見下ろした長い自分の足跡が笑えた。
そして同じ斜面に再度リベンジし、雪辱を果たしたことは言うまでもない。

ん?
雪辱って…、雪に辱められること?
…俺のこと?

さ、遅くなったがギターを手にしよう。