4月25日(日) テレビ取材とイニャネ

今日は雨予報だったハズなのに、朝はとりあえず晴れ。
ペットボトルの水が少し凍っていて、夜はそこそこ冷えたことがわかる。
でも昨日買ったブランケットの効果は絶大!
こいつを下に敷いておくだけで、今までのように地面からの冷気で悩むことがまったくなかった。
これはいい買い物をした。

まだ朝7時。
今朝も街をブラブラしようと思って歩き出すと、ガソスタにクルマが1台止まっている。
ガソスタは8時開店なので、まだガソリンを入れられずに待っているのだろう。

クルマはレンタカーで、そのドライバーは…あ。
ジェイソンである。
セイズィスフィヨルズルで会った、ニュージャージー出身のアメリカ人。

むこうも俺を覚えていたようで、少し話した後、なぜか彼のレンタカーでドライブすることに。

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俺が明日には走るであろう道のりを、レンタカーで走る。
30キロぐらい来て、大きな川の上の橋で引き返す。
ルートのいい下見にはなったが、
それにしても、やっぱりジェイソンの英語は聞き取りにくい。

早口というほどでもないのに、ほとんど何を言っているのかわからない。
発音や使う単語、言い回しの問題なのだろうか?
でも単純に、コトバで理解し合おうというサービス精神が欠けているように思われてならない。
彼は無口でボソボソッと喋るので、余計にそんな気がしてしょうがない。
それでも車内で静かなのも不気味なので質問を並べてみると、少しは彼のことがわかってきた。

アイスランドや日本のような島国の文化に興味があること。
アメリカが意味なく戦争ばっかりしているのに嫌気がさしていること。
ユニサイクルでアメリカを旅するのはクレージーなヤツが多過ぎてかなり危険であろうということ。
エギルスタズィールは退屈なので今日のバスでアークレイリに向かうということ。
そして、ユニサイクルなんかで走るのはやめて、俺もバスに乗ったほうがいいということ。

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ガソスタが開く8時までまだ時間があったので、エギルスタズィールの空港に寄る。
地方空港のわりには朝からなんだか忙しそうだ。
長引いている噴火が関係しているのだろうか。

そういえば、噴火の影響でケプラヴィークの国際空港がたびたび閉鎖されているらしい。
だがその時はアイスランド第2の町であるアークレイリの空港から代替便が出ることもあるそうだ。
もしかすると、俺もアークレイリから飛行機に乗って帰ることになるかもしれないな。

短いのに長ーく感じたドライブを終え、エギルスタズィールに戻ってきた。

ジェイソンはレンタカーにガソリンを入れ、これからクルマを返しに行くそうだ。
去り際に「やっぱりバスで行くべきだよ。」と繰り返し言ってきたが、
俺は自分にとっては当たり前なことをそのまま答えるしかない。
「ユニサイクルで行かないと意味がないし、おもしろくないんだよ。」

さて、取材のある午後1時まではまだ少し時間があるので、
今のうちに明日からの長旅で必要になる大量の食料を買っておくとしよう。

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大量の食料を買うなら、2つあるスーパーの中でも安いBONUSに限る。
大体4日分プラスアルファぐらいを想定して、クッキー&ビスケット&ヌードルを大目に買う。
これは今まで背負ったことのない、一見するとアホみたいな量の食料だ。
かなり重いのは間違いないが、なんにもない上に寒い山の中で飢えるのだけは避けたい。

そして、午後1時。

昨日と同じクルマでシッカちゃんがやって来た。
今日はカメラマンというゴツいおっちゃんも一緒だ。
おっちゃん同様にゴツいカメラの機材はやっぱり日本製で、
今のところアイスランドで日本製以外のカメラを見たことがない。

まずは挨拶がわりにキャンプ場内を少し走り、
次はキャンプ場のテーブルを使って、野外でのインタビューへと移る。

インタビューと言っても、服にマイクをつけただけで、
後はシッカちゃんとひたすら長話をするだけ。
それを後でうまく編集して、見栄えのよいインタビューにするのだろう。

インタビューと俺のマイハウスであるテントの撮影を終えた後は、
彼らのクルマに乗って街から少し離れた場所へ移動することに。
予想どおり、リングロードを走っている絵が欲しいらしい。

俺はそんなこともあろうかと、朝のうちに簡単な荷造りをして、
リュックをいつも背負っている大荷物に近い状態にしておいた。
テントや今日買ってきた大量の食料は積んでいないぶん、いつもよりは軽い。

クルマに乗ってキャンプ場を出る時、
キャンプ場内を怪しくウロつくジェイソンを発見した。
たぶん俺に会いに来たんだろう。
あれだけ会話が続かないのに、なんでまた?
とりあえず今は相手できないのがラッキーである。

カメラマンは街から5キロぐらいの大きなカーブを撮影場所に選んだ。
まずは俺が走るのと平行してクルマで走りながら撮影。
次は、遠くで待つクルマに向かって俺が走って来る様子を長々と撮影。
テレビってこうやって作られるんだなぁと思い、なかなか興味深い。
見栄を張っていつもの1.7倍ぐらいの高速で走ってしまう自分はもっと興味深い。

クルマで街に帰り際にシッカちゃんが、
この先の長ーい難所付近に住んでいる人の電話番号というのを渡してくれた。

「途中で何かトラブルが起こったら、この人が助けてくれるわ。」

そうか…。
エギルスタズィールから先の200キロはおそらく今回の旅でもっとも補給が難しく、
また今の時期は気温が低いエリアなんだろうと思う。
まさに難所だ。
それだけに早いうちから警戒して各地で情報を集めてきた。
そしてその結果、今では、
『困った時にはここに電話しろ!』という電話番号が3つも4つもあるという状況になってしまった。

いつのまにやら、アイスランドでの知り合いが増えたものだ。
これだけの人々に心配されているとあっては、おちおちトラブルにも遭えやしない。

ふたたびキャンプ場に戻ってきた。
ふいに昨日の疑問を思い出して、聞いてみる。

「ひょっとして昨日は600キロ走ってクヴォルスバトルに帰ったの?」

「まさか。今はエギルスタズィールに単身赴任してるのよ。」

そう言って笑うシッカちゃん、よく見ると腹ボテ。

「もうすぐ子どもが生まれるの?」

「そうなの。ボーイフレンドの誕生日にユニサイクルをプレゼントしたんだけど、彼ったら全然乗れないのよ。」

「そうかー。幸せそうだね。」

今日撮影したビデオは、早ければ明日の午後7時のニュースで流れるらしい。
できればリアルタイムで見たいところだが、その時どこを走ってるかわからないし、あまり期待はできない。
ニュースは放映後2週間はテレビ局のサイトで視聴できるらしいので、
そのことをブログに書いておけば、日本の誰かがサイトを見て動画を保存してくれるだろう。

「あ、ところで、誰が俺のことを君のところに電話したの?」

「えーと、セイズィスフィヨルズル在住の男性だったハズよ。」

「ヒャッティかな?」

「うーん。たぶんそうね。」

タレこんだのはヤツだった!!

そうして、2時間ほどの撮影は終わった。

彼らが帰ってから、ふと気づく。
撮られるばっかりで、シッカちゃんの写真撮るの忘れた!!
一生の不覚である。
妊娠&彼氏持ち宣言でショックを受けた結果かどうかは定かではない。

ふぅ。ようやく1人の時間がもどってきた…。
と思ったら、ほどなくしてジェイソンが尋ねてきた…。

なんなんだオマエは!!
どうやらアークレイリ行きのバスがまだ出ず、ヒマらしい。
だからってわざわざ話の通じない俺のところに来なくてもいいだろうに。寂しがり屋か!!

しょうがないので、とりあえずタダでコーヒーの飲めるスーパーへ。
そこで買ったビスケットを食べつつコーヒーを飲んでいると、
なんとなく「インターネットは必要ないのか?」という話題になった。

「インターネットを使えば、泊めてくれる人を探せるサイトがある。それを使うべきだ。」

「へー、そんなのあるのか。」(どーでもいいなぁー)

「確か、この街の博物館がインターネットを使えたハズだ。今から行ってみよう。」

「えー、行くのー?」(どーでもいいんですが…)

しょうがないので、2人で歩いて博物館へ向かう。
やっぱり会話は岩のように弾まず、聞き取りにくいわ通じてないわでもう大変。
ところでニュージャージーでは誰もがインターネットのことを『イニャネ』って言うんだろうか。
最初、何て言ってるのかサッッッパリわからなかったよ。
これだけ話が合わないのに、4度も会うハメになるってなんなんだろう…これって、運命?
まぁ最初の2回は偶然、後の2回は必然なんですけど。

博物館に着いたら着いたで、日曜日はスッパリ休みでした。
もうじきバスの時間だというので、ふたたびバスの停車場のあるガソスタ付近まで戻る。

彼はこれからバスでアークレイリに行くというのだから、もう会うことはあるまい。
なかなかに理解不能な点も多々あったが、基本的には親切な人物だったのだろう。
アメリカ人にもつくづく色んなタイプがいるものだ。
それじゃあジェイソン、さようなら。

バスに乗るジェイソンと今度こそ別れた後、
時間があるので今日もまたプールに行くことに。
淡い期待とは裏腹に、今日のプールは完全なお婆さまサロンと化していた。
いいんだ、そのほうが湯治っぽいじゃないか!!

今日はいつもとは違った角度で変わった経験をしたせいか、
夜中にテントの中でとりとめのないことをいくつも考えてしまう。

幸福じゃなくても人は死なないが、不幸すぎると死んでしまう。
多くの人が自分を不幸だと思いがちなのは、
人が生きる上で、快よりも不快のほうが重要度が高いからではないか。
それじゃあ幸福と不幸というのは、そもそも等価じゃない。

多くの宗教や健康法が説く境地とは、
人が答えの出ないことについて考えたり悩んだりして消耗や自滅していくのを防ぐための、
一種のコツを体現したものに過ぎないのではないか。

それにしても俺の英語はブロークンすぎる。
今日はシッカちゃんに色んなことを聞かれたが、
今にして思えばもっとマトモな…いや、あれが俺の全力だったのだろう。

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夜中にジェイソンがくれたビスケットを食う。
ヤツにまで「キミにはカロリーが必要だ。」と言って食料を提供される俺って一体…。

いずれにせよ、明日はこの街を出る。

動き出したら、考えることもまた変わる。

そんなもんだろう。