東 京 園

名残惜しくも池谷宅を辞し、次に連れて行かれたのが、東京園。
えーと、東京園?
なんていうか、昭和まるだしの古くて広い銭湯みたいなところである。
明らかに今ハヤリのスーパー銭湯とは違う。そこは明確に違う。

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なんせ、食堂で普通にランチ食べてたこの人がオーナー…。

戦後間もない1950年代に、女学生だった彼女が一人で野宿電車旅をした話などを聞かされ、
ここでも昔の話好きな血が騒いでしまう俺。
池谷宅と同様、えふぅさんが絶妙なタイミングで連れ出してくれなければ、そのまま夜になっていたに違いない。
あぶねーあぶねー。

温泉はコーヒーみたいに真っ黒。
都会の真ん中だけに、知らないと何かに汚染されてるんじゃないかと疑ってしまうが、昔から由緒正しく黒いんだそうだ。へー。
我ながら、興味のある分野とあまりない分野での関心のギャップが激しい。

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風呂から上がると、2階の座敷で昼からビール。
うあぁぁ、確かにとんでもないところだ…。

そしてなぜか、2人で飲んでいるところに入ってくる、秋田から出稼ぎに来たおっちゃん。
おやおや、すでに出来上がっていますね。
え、息子さんが俺と一歳違い?あーやばい流れだなこりゃ…。

舞台ではいつのまにか、着物を着た熟女が演歌っぽい曲をバックに踊ってるし…。
どうやら江戸を舞台に、魚屋のようで魚屋ではないサダさんに許されない恋をしてしまった、若い女の情念が燃え上がっている様子らしい。
3回ぐらい連続で聞かされた時点でなんとなく歌詞を覚えてしまったわ!
彼女はとりあえず『師匠』と命名。

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酔いが脳の大事な部分を襲ったか、ついにカラオケで兄弟船を唄い始めた秋田のおじさん。いつハチマキを巻いた!?
そしてなぜか、それに合わせて踊る師匠。

カオスだ…。

えふぅさんは喜んで見ているのみならず、歌うし、自分でセッティングするし。
人は誰でも東京園慣れすると、いずれこうなってしまうのだろうか。

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なんで俺が、秋田から来た祝還暦のおっさんの腰を抱いてまで、津軽海峡冬景色を歌わねばならないのか。

ついさっき、趣のある旧家の縁側で、背筋を伸ばして当主夫妻から話を聴いていた時には、その直後にこんな目に遭うとは思わなかった。夢にも思わなかった。

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もうトドメだ。
えふぅさんが居なくなった一瞬のスキをついて、師匠に捕まってしまう俺。
ダメだ、今日の俺はあまりにスルースキルがなさすぎる。だって話がおもしろいんだもん。

(要約)
(70過ぎと思われる彼女の)ともすると欠けがちなホルモンは、
創作舞踊によって若い女の情念を演じることによって、しばしば補われます。
夫婦の愛も永くは続かないものではありますが、踊りによって私は自分を保っていられるのです。
そうでなければ線路に足を踏み入れていたかも知れません。芸事は真に人間を高めてくれるのですよ。
たまに出会った素敵な殿方ともお茶を飲むだけ。女は遊ばれてはダメ。ボケているヒマなどありません。
あなたも女の心を理解するには踊りを習うといいわ。男役でも女役でもいいのよ。
これは職人が作った特別な団子よ。向こうで待っている方と二人で食べなさい。

ありがとう師匠、そして秋田のおっちゃん。
俺は東京園に来て良かった…。たぶん…。

綱島、おそろしいところである。
えふぅさんに呼ばれなければ、普通に一輪車で通り過ぎていたに違いないこの町で、
こんなにも突き抜けてしまった人々と、立て続けにお会いすることになろうとは。
そもそもこんな人々を次々に引き合わせてくれるえふぅさん、あなたは一体何者。

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夜です。
パリパリの手作り餃子がうまい。
4人並んだ子どもたちに向かって両親が矢継ぎ早に食事を与えていく様は、
昼メシ時の大衆食堂か、ヒナを抱えた親鳥を彷彿とさせる。
本人たちは大変忙しそうではあるが、ハタから見ていると、とても微笑ましい光景である。

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なんと、同じく横浜在住のたけっちさんが、遅い仕事を終えた後、わざわざ俺に会いに来てくれた。

去年の10月、北海道にツーリングでやって来てライダーハウスGOに泊まり、
イクラ丼を振舞おうとしてよくわからなかったのでスジスジの筋子丼を食べさせてしまった、あのたけっちさんである。

あいかわらずの落ち着いた温和な物腰、紳士とはこういう人のことだな。
男たちの語らいの中で夜は更け、日付も変わった。
長い一日が終わろうとしている。

よーーーーーし、寝かせていただこう。

昼間に東京園で秋田のおっさんとビールを飲んだあたりから、今日の旅日記更新はとっくに諦めていた。