微熱の国
天気はとても良いのに海風は冷たい。
岩国から海岸線に沿って走る国道188号線には、
残念ながら歩道や幅広い路肩は少ないようである。
安全のため、ここは我慢して歩くとしよう。
護岸の上とかをね。
ようやく着いた最初の町は柳井(やない)市。
少し休もうと思ってコンビニ前で座り込んだところ、
先客の自転車乗りに声をかけられた。
彼は福岡から大阪まで走る旅の途中だそうだ。
またちょっと変わったルート設定だなと思って聞いてみたら、
実は彼、韓国からやって来た学生なのであった。
日本語がかなり上手なので、
向こうから言われるまでわからなかったよ。
彼は金泰宇くん。
釜山から福岡を結ぶ船に、
バイトしまくって買ったニュー自転車を載せて来日し、
大阪からまた釜山まで帰るんだという。
へぇ、それで福岡から大阪なのか。
大阪から釜山まで行く船なんてあったっけ?知らなかった。
そんな彼、来年の1月から兵役で23カ月の軍隊生活に入るそうだ。
今回の旅は、入隊前の駆け込み海外旅行ってところらしい。
それにしても初の長い自転車旅がいきなり日本ってのはなかなか度胸があるな。
入隊は正直大変ではあるが、少しの誇りもあります、とのこと。
今時の日本人なら徴兵などはちょっと考えられない。
なんとか兵役を逃れる方法はないの?と聞いてみると、
子どもが3人いれば行かなくてもいいと聞いたことがあります、と屈託なく笑う。
人なつこい笑顔だ。
折しも今日、北朝鮮の金正日が死去したらしい。
これから兵役に入る彼には、もしかしたら大変な時期になるかもしれない。
しかも志望が海軍とは。
これからどうなるのだろう。彼も情勢も。
ただ、兵役が終わっても、
どうかまだ日本を好きでいてほしいと切に思う。
日本のコンビニのメロンパンが大層気に入った彼なら、
心配はないと思いたい。
俺もこうして縁あって韓国からの客人に会ったのだから、
いつかは韓国を走ることもあるかもしれないな。
彼いわく、韓国は一輪車が走りやすい環境とは言えないそうだが。
逆方向に行く金君とはここでお別れだ。
国に帰るまで安全に。よい旅を。
ところで、俺の愛用のサングラスは拾いものだ。
確か岡山の峠で拾った。
おそらく自転車乗りが落として行ったもので、
ちょっと高そうな雰囲気を醸し出している。
元々持っていたものより視界の歪みが少なくて見やすいのが気に入り、
予備のつもりが今やすっかりこっちを愛用している。
そしてこのサングラス、視界が少しオレンジ色なのだ。
明るいような、されどセピアっぽいような。
そんなオレンジの視界で、山口県の田舎地帯を、
冷たい向かい風の中、冬枯れの香りを感じつつ、延々と走り続けている。
するとなんだかこう、いつのまにか、
遠い遠い昔の国に向かって走っているような気がしてくるのだ。
寺の前を通るとときどき一口説法みたいなのが墨書されていて、今日はこれだった。
『念仏は我の壊れる音』
我とは何だろうね。
毎日の現実を生きる中で、
たくさんの矛盾をそのままにして心身が固着した状態なのかもしれないと考える。
そしてたとえ念仏ではなくても、
ひきつれた我がゆるむキッカケというのは確かにあるように思うのだ。
一仕事を終えて窓から外を眺めた瞬間や、一輪車で走るオレンジ色の異世界などで。
あらあら、おじいちゃん。
ここは日本の山口県で、この先には九州があるだけですよ。
もう、ボケちゃって。
好きなことばかりしているので仮に早死にしても文句は言えないかなと思っているが、
実はホゲホゲのじいちゃんには少し憧れている。
柳井市から光市までの海岸線には、さっぱり歩道がない。
思いがけない距離を歩かされ、途中で陽も暮れた。
暗くて路肩も狭いとなると、いよいよクルマが怖い。
コースアウト多発!なんて書かれてるから、さらに怖い。
光市の町灯りが遠くに見えて、少しずつ、少しずつ近づいてくる。
こんな情景もまた、これまであちこちの旅で何度も経験してきたのだ。
心身両面の辛さ伴うためか、こういうのはどれも良く覚えている。
やっと光市の市街地に着いた。
もうすっかり暗い。
されど、光市。
なんとも良い名前の町である。
光駅、光市役所。強そう。
そのうえ、虹ヶ浜とか聖光高校とかもあって、
さすがにちょっとおたく自意識過剰気味じゃない?
などと思わず文句のひとつも言いたくなってくる。
しかしだ、その光市の隣の町がまた、
下松(くだまつ)市と言って、
それはもういきなり切ないぐらい地に足の着いた名前なのである。
アーバン野宿家としては、
輝かしい名を持つ光市で一度は野宿してみたいもんではある。
だが時間がまだちょっと早かったので、ついつい下松市まで流れて来てしまった。
こうなった以上、俺も地に足を着けて下松市のどっか適当なところで寝なくてはなるまい。
とりあえずこのスーパーのイートインも出なくてはなるまい。
今夜も二重の寝袋が吼えるぜ。
ああ距離か、58キロ。
岩国から海岸線に沿って走る国道188号線には、
残念ながら歩道や幅広い路肩は少ないようである。
安全のため、ここは我慢して歩くとしよう。
護岸の上とかをね。
ようやく着いた最初の町は柳井(やない)市。
少し休もうと思ってコンビニ前で座り込んだところ、
先客の自転車乗りに声をかけられた。
彼は福岡から大阪まで走る旅の途中だそうだ。
またちょっと変わったルート設定だなと思って聞いてみたら、
実は彼、韓国からやって来た学生なのであった。
日本語がかなり上手なので、
向こうから言われるまでわからなかったよ。
彼は金泰宇くん。
釜山から福岡を結ぶ船に、
バイトしまくって買ったニュー自転車を載せて来日し、
大阪からまた釜山まで帰るんだという。
へぇ、それで福岡から大阪なのか。
大阪から釜山まで行く船なんてあったっけ?知らなかった。
そんな彼、来年の1月から兵役で23カ月の軍隊生活に入るそうだ。
今回の旅は、入隊前の駆け込み海外旅行ってところらしい。
それにしても初の長い自転車旅がいきなり日本ってのはなかなか度胸があるな。
入隊は正直大変ではあるが、少しの誇りもあります、とのこと。
今時の日本人なら徴兵などはちょっと考えられない。
なんとか兵役を逃れる方法はないの?と聞いてみると、
子どもが3人いれば行かなくてもいいと聞いたことがあります、と屈託なく笑う。
人なつこい笑顔だ。
折しも今日、北朝鮮の金正日が死去したらしい。
これから兵役に入る彼には、もしかしたら大変な時期になるかもしれない。
しかも志望が海軍とは。
これからどうなるのだろう。彼も情勢も。
ただ、兵役が終わっても、
どうかまだ日本を好きでいてほしいと切に思う。
日本のコンビニのメロンパンが大層気に入った彼なら、
心配はないと思いたい。
俺もこうして縁あって韓国からの客人に会ったのだから、
いつかは韓国を走ることもあるかもしれないな。
彼いわく、韓国は一輪車が走りやすい環境とは言えないそうだが。
逆方向に行く金君とはここでお別れだ。
国に帰るまで安全に。よい旅を。
ところで、俺の愛用のサングラスは拾いものだ。
確か岡山の峠で拾った。
おそらく自転車乗りが落として行ったもので、
ちょっと高そうな雰囲気を醸し出している。
元々持っていたものより視界の歪みが少なくて見やすいのが気に入り、
予備のつもりが今やすっかりこっちを愛用している。
そしてこのサングラス、視界が少しオレンジ色なのだ。
明るいような、されどセピアっぽいような。
そんなオレンジの視界で、山口県の田舎地帯を、
冷たい向かい風の中、冬枯れの香りを感じつつ、延々と走り続けている。
するとなんだかこう、いつのまにか、
遠い遠い昔の国に向かって走っているような気がしてくるのだ。
寺の前を通るとときどき一口説法みたいなのが墨書されていて、今日はこれだった。
『念仏は我の壊れる音』
我とは何だろうね。
毎日の現実を生きる中で、
たくさんの矛盾をそのままにして心身が固着した状態なのかもしれないと考える。
そしてたとえ念仏ではなくても、
ひきつれた我がゆるむキッカケというのは確かにあるように思うのだ。
一仕事を終えて窓から外を眺めた瞬間や、一輪車で走るオレンジ色の異世界などで。
あらあら、おじいちゃん。
ここは日本の山口県で、この先には九州があるだけですよ。
もう、ボケちゃって。
好きなことばかりしているので仮に早死にしても文句は言えないかなと思っているが、
実はホゲホゲのじいちゃんには少し憧れている。
柳井市から光市までの海岸線には、さっぱり歩道がない。
思いがけない距離を歩かされ、途中で陽も暮れた。
暗くて路肩も狭いとなると、いよいよクルマが怖い。
コースアウト多発!なんて書かれてるから、さらに怖い。
光市の町灯りが遠くに見えて、少しずつ、少しずつ近づいてくる。
こんな情景もまた、これまであちこちの旅で何度も経験してきたのだ。
心身両面の辛さ伴うためか、こういうのはどれも良く覚えている。
やっと光市の市街地に着いた。
もうすっかり暗い。
されど、光市。
なんとも良い名前の町である。
光駅、光市役所。強そう。
そのうえ、虹ヶ浜とか聖光高校とかもあって、
さすがにちょっとおたく自意識過剰気味じゃない?
などと思わず文句のひとつも言いたくなってくる。
しかしだ、その光市の隣の町がまた、
下松(くだまつ)市と言って、
それはもういきなり切ないぐらい地に足の着いた名前なのである。
アーバン野宿家としては、
輝かしい名を持つ光市で一度は野宿してみたいもんではある。
だが時間がまだちょっと早かったので、ついつい下松市まで流れて来てしまった。
こうなった以上、俺も地に足を着けて下松市のどっか適当なところで寝なくてはなるまい。
とりあえずこのスーパーのイートインも出なくてはなるまい。
今夜も二重の寝袋が吼えるぜ。
ああ距離か、58キロ。