旅の鍵

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15時過ぎにようやく溜めていた旅日記を書き終えはしたが、
ここからいくら走ったところで今日はたかが知れているだろう。
でも、できる限りは進まないとな。
第一ほかにやることもないし。

走りやすい3号線の歩道をスパスパと走っていれば、すぐに宇城市は終わる。
つぎは氷川町というところで、
そこも渋滞気味の車道を尻目にズンドコ走っていればあっさりと通過し、
爽やかに舞台を八代(やつしろ)市へと移すのだ。

このあたり、国道脇になにげなく古墳があったりするのがすごい。
7世紀頃の石室なんてのがそのままゴロンと。
あまりに自然すぎて、バイクやクルマなどではきっと気づかないだろう。
1000年以上たって自分の墓の横に国道ができてる気分はどんなもんなんだろうな。

道沿いの果樹園には、この地域の特産らしき晩白柚(ばんぺいゆ)という、
子どもの頭ぐらいある世界最大の柑橘類がたくさん実っているのが見える。
これは慣れないうちはどう見ても宇宙から飛来したモンスタープラントで、
ぜひともこれが木になっているところを撮りたいと思っていたのだが、
実の上から栽培用の紙や網を被っているものが多く、
なかなか写真に撮る機会がないのが残念なのである。

ところで八代市街を走っている時、
なんだか急に「球磨川(くまがわ)」という単語を思い出し、
球磨川ってどこの川だっけーと思っていたら、
目の前に現れたのがまさにその球磨川だった。
たぶん俺は昔、球磨川で生きたオカメミジンコか何かだったのだろう。

そんな八代市街が終わりかけると、そろそろ夕暮れ。
さて今夜はどこで寝るかな。
調べると、この先の田浦(たのうら)というところに道の駅があるらしい。
峠を越えた先にあって少し遠そうだが、海沿いの峠なら大したこともあるまい。
よし、とりあえずそこに向かうとするか。
九州は北海道なみの密度で道の駅があってくれるから助かるよ。

八代市街を出れば、道は急に寂しくなる。
海に近寄ったり離れたり、暗い道はのらりくらりと伸びる。
そしておもむろになくなる歩道。
やれやれ、しょうがない。
安全のために一旦国道を逸れて、国道脇の町を行くとするか。

この国道脇の町というのが日奈久(ひなぐ)温泉というところで、
湯平ほどではないが、なかなかひなびた感じの古い温泉街である。
昔は湯治客で賑わったのであろう商店街などをフラフラ歩き、
気ままに角を曲がったところに、それはあった。

おおおおっ!!!
なんじゃこれは!!!

古い、とにかく古い、昔の大きな温泉旅館である。
3階建てだろうか、明治の面影を強烈に残す立派な旅館建築だ。
これはすごい!!
古い建物がなぜか好きな俺には、この構造物がタダモノとはとても思えない。
しかもこの旅館、なんと、現在も営業しているらしい!
窓からは明かりが漏れ、
立派な玄関には黒く艶光りする廊下や階段が垣間見える。

明治時代の温泉旅館が、まさか今も現役で営業中なんて!
…見たい、ぜひ中に入ってみたい!
この『金波楼』という旅館に!!

金波楼の周囲を怪しく徘徊しているのがバレたのか、
ついに通りがかった人に声をかけられてしまった。

「何かお探しですか?」

「いえ、実は偶然この建物の前を通りまして、
それがもう、あまりにも素晴らしいので、つい…。」

まさに思ったままの答えである。
話しかけてくれた男性いわく、
金波楼はあちこちで紹介されるような有名な旅館であるらしい。
そりゃあ明治の姿を留めた超老舗旅館であれば当然のことだろう。
そしてここは、500円で立ち寄り湯が可能であるとか。

ご、500円でこの建物の中に入れるのか!?

きっと俺の目は爛々と輝いていたのに違いない。
男性は俺を金波楼の中にまで連れて入ってくれて、
番頭さんらしき人に、俺に代わって立ち寄り湯の話をつけてくれさえした。
あ、ありがたい、これで俺は、この素晴らしい旅館の中に入れるのだ!

ザックとユニサイクルを玄関脇に置かせてもらい、
500円を払ってついに金波楼の内部へ。

うわー!うわー!
すごい、磨かれてツヤツヤの木の廊下、古くて急な階段、
おそらく上から見るとコの字型であろう建物の中央にある中庭…。

建物のベースは当時のまま、
しかし細心の注意を払って現代の設備を随所に取り入れている。
ここはいい宿だ。

そして浴場、これがまた素晴らしい。
入った瞬間にたちのぼる柑橘類の香り。
それはヒノキの浴槽に浮かぶ、巨大な晩白柚から放たれているのだ。
そう、晩白柚風呂!

晩白柚を持ち上げたり沈めたり、
その芳香を存分に楽しんだ後は、露天風呂へ。
露天風呂がどこにあるかと言うと、それは憧れの中庭だ。
夜なので中庭の様子はよくわからないが、
3階建ての古めかしい旅館建築に囲まれた広い庭の一角に造られた露天風呂は、
大自然の開放感とはまた違う繊細な野趣を感じさせてくれる。

なんともいい風呂だった。
特に温泉好きでもないこの俺が、
金を払ってまで入りたくなるようなことがよもやあるとは。
まったく日本は広いとしか言いようがない。

入浴後も、許可を得て廊下や玄関を撮りまくる。
あぁ、すっかり満足した。
次に熊本に来る機会があれば、今度はこの宿にぜひ泊まってみたいものだ。

金波楼を出て、身体からほのかに柑橘類の香りを放ちつつ、俺はまだ進む。
日奈久温泉で野宿するわけにもいかんからな。
幸せな気分で温泉街を後にし、しばらく歩くと、
周囲の様相がだんだん村っぽくなってきた。

たまにあるガソスタにおばさんが醤油を買いに来てたあたりはまだいいほうで、
そのうち家も少なくなり、通るクルマもまばらになる。
もうじき峠だな…。

この峠は「赤松太郎峠」という、なんともいえない名前をもつ。
しかしそんな名前とは関係なく、
この峠は思っていたより遥かに長く高く、そして暗い。
何より暗いのだ。
すでに散々歩いてようやく峠の入口に差し掛かったところで、
すでに21時過ぎ。
ライトがないとどうにもならない暗い坂をビビりながら上り続け、
極めつけは頂上にある、長さ600メートルのトンネル!
クルマもめったに来ないこんな場所で、
夜のトンネルは怖い。とても怖い。
でも、行かなくては。
もはやここを突破して道の駅にたどり着く以外に道はないのだ。

トンネルが緩やかな下りで助かった。
ユニに慎重に飛び乗り、600メートルを一気に走り抜ける。
一心に前だけを睨み、
間違いなく本日最速の時速18キロでトンネルを突破。
そのままの勢いを保ちつつ、
とにかく足早に坂を下って、道の駅へと近づく。

前方に、熊本になぜかやたらとある弁当屋、
「べんとうのヒライ」の電飾看板を見つけた時の、
この安心感と言ったら…。
あぁ、怖かった。本当に怖かった。

べんとうのヒライは道の駅に隣接していて、周囲には他に店もない。
よって、絶対に入らないような気がしていたヒライにトライすることに。
内部は弁当屋というよりはコンビニ兼食堂であり、
なるほどこれなら客も集まるハズだ。
なんで熊本ではただの弁当屋がこれほどウケているのかと不思議だったが、
これで謎が解けた。

なんだか腹が減ったのと、峠を越えた高揚感からか、
食堂でいつになく豪華なメニューを頼んでしまった。
ヒライデビュー記念としてこれぐらいはよしとしよう。

あとはブログを書いて、この道の駅で寝るだけだ。
この道の駅には屋内畳敷きの野宿上等スペースがあるのだが、
そこにはあいにく先客がいた。
それに岡山あたりの道の駅でも書いたように、
条件が整い過ぎているポイントはむしろ避けたい。
そんなわけで、俺は今夜も外のベンチ付近で寝るのだ。

ボンヤリと思う。旅とは凄いものだ。
俺はただ目的を決めて前に進んでいるだけなのに、
こうも毎日いろんなことが起き続ける。
この2日間だけでも、
クリスチャンのおばさまに祈られた直後にお寺に泊まることになったり、
明治時代の旅館に興奮したと思ったら峠のトンネルでえらい恐怖を味わったり。
2日間と言えば、通常なら寝て起きて、寝て起きる。それだけだ。
何か変わったことなどそうそう起きるものではない。
自分の想像を超えた変化の世界にあえて身を置くこと。
それが旅の持つ、いかんともしがたい魅力なのかもしれない。

今日の走行距離は52キロ。
昼間に5時間も旅日記に費やしたわりには、結構進んだもんだな。