クイナの声
やはり宿を取って正解だった。
延々と寝続けた結果、体調はだいぶ回復している。
これなら走れそうだ。
今日や明日が雨だというならこの快適な宿で連泊も考えるのだが、
微妙なことに、明日の夜からが雨。
体調を勘案して、これなら進んでもいいかな、と思えてきた。
荷物を片付け、一晩じっくりと休ませてもらった部屋を出る。
ユニサイクルを手に取り、さぁ今日は走るぞと…、あれ?
空気抜けてない?
やばい、パンクか!?こんな時に!!
実は神戸から始めた後半の旅、空気入れと替えのチューブを忘れている。
だがパンク修理用のパッチと100均で買った圧縮空気の缶はある。
それでなんとかなるだろうと思っていたが、
缶は7回使えると書いてあるわりに、
試しにちょっと空気を入れてみた時点でもう終了っぽい。
しかも空気の漏れはバルブ付近から起こっていて、
もしかすると空気漏れはムシが原因かもしれない。
だとしたら、今の貧弱な装備では修理は困難だ。
やっと体調も回復して出発という時に、今度はパンクか…。
どっちもそうそうあることじゃないんだが、まさか重なるとはな。
パンクなんかしょっぱなの北海道で2回やってからは、
本州でも九州でもずっとなかったというのに。
さて、見事に出鼻を挫かれた。どうしよう。
旅先でのトラブルは、とにかく考える。必死に考える。
国頭村でもう一泊して仕切り直しも考えたが、
とりあえず事務所に行き、昨日と同じくいてくれた愛想のいい女性に、
この辺に自転車屋はありませんかと聞いてみる。
すると、あるとのこと。やった!
場所を教わり、まずはその自転車屋へ。
2キロほど歩いてようやくたどり着いたそこでは、
一人のおじさんが子供用の自転車の修理をしている。
「あのう、パンク修理をお願いできませんか。」
「…すぐにはできないよ。」
「わかりました。待ちます!」
するとおじさん、
なんと俺の一輪車のパンク修理に、すぐに取りかかってくれたのである。
パンクの原因はムシではなく、意外にもチューブの「内側」に空いた穴であった。
なんでこんなトコに穴が開く!?
激しいギャップを越えてきたせいかもしれない。
おじさんはタイヤレバーがわりにマイナスドライバーを使いつつ、
手際よくパンクを直してくれた。
ありがたい!
ここに自転車屋がなければ、以後の道のりでどれだけ苦労したことか。
おじさんに厚くお礼を言い、今度こそ出発。
もう12時近いが、体調もそんなに悪くないし、今日は進みたい気分だ。
国頭市街、本来は辺土名(へんとな)と呼ばれる町を出る。
ひとたびここを出れば、しばらくまとまった町はないだろう。
今日も向かい風は強いが、昨日や一昨日ほどではない。
まだ病み上がりなのでムリをせず、
汗をかきすぎないように、ゆっくりと走る。
途中で出会ったチョイ悪オヤジ風の3人組は、
「え!?一輪車で沖縄一周!?」
なんてえらく驚いてくれているが、そこでそんなに驚いてるようじゃ…。
実は日本縦断だと知ると、もはや呆然と笑ってハイタッチであった。
こういうリアクション、もうしばらく見なかった気がする。
沖縄で人に声をかけられまくったのはつい先日の話なのだが。
時々パラパラ雨に見舞われながらも、20キロ。
ついに沖縄最北端の辺戸(へど)岬までやって来た。
だが、ここでのんびりしてはいられない。
もう15時過ぎ、明るいうちに移動しておかねば。
そそくさと辺戸岬を出て上り坂を歩いていた時、
向こうからやって来た自転車の若い女性2人に声をかけられた。
なんと彼女たち、恩納村のレンタサイクル屋で俺の話を聞き、
どこかで会えたらいいなと思っていたらしい。
なるほど、恩納村のレンタサイクル屋といえば、彼だな。
一昨日出会ったあの人が、俺の話を彼女たちにしてくれたに違いない。
今夜はどこまで行くのかと聞かれたので、
とりあえずこの先にある奥(おく)の港までは行きたいと答えたところ、
彼女たちも今夜は奥で唯一、そして沖縄最北という民宿で泊まると言う。
素泊まりもあるんじゃないかな…と言うが、定かではない。
昨日観光案内所でベテランおばさんからもらった一覧表によると、
その民宿は素泊まりはやっていないようだが、どうなんだろう。
ともあれ、まずは奥へということで、
意外にアップダウンのキツい道をさらに進む。
病み上がりのせいだろう、少し進んだだけですぐに疲れてしまう。
そして疲れもあるが、眠い。
昨日あれだけ寝たのにやたらとアクビが出る。
明日からの不毛な道のりを思えば、
今日も宿に泊まったほうがいいのかもしれない…。
そんなことを考えつつ、ようやく奥の町に到着。
宿を探す前にまずは一息つこうと、
ちょっと道の駅っぽい「ヤンバルの里」という施設に立ち寄って休憩。
自販機で水を買って少し飲み、
さあ宿を探しに行くかと歩き出したところで、
「腹が減ってるだろう、こっちにおいで!」
と、声がかかった。
ここの職員さんだろうか?なんと事務所へと招き入れられる。
彼は金城(きんじょう)さんと言って、ヤンバルの里の管理人。
奥が出身地だそうで、ピザをご馳走になりながら、
子ども時代の奥の話などを聞かせてもらう。
さらには本当は有料らしき併設の民具館まで案内してもらい、
古いモノが好きな俺としてはとても嬉しい。
民具や農具は沖縄独特の工夫がこらされてはいるが、
形状は意外なほど本土のものと似通っており、
古来より活発な交流のあったことが伺われる。
奥はその名が示すように昔は陸の孤島で、
本島よりはむしろ北の島々との交易が盛んだったらしく、
奥の方言は沖縄本島の中でもかなり特殊なんだそうだ。
展示されている白黒写真の一つは今の国道を人力で作っている時のもので、
この若い女性は今は85歳だよ、と言って金城さんは穏やかに笑う。
今日の泊まりを聞かれ、委細を話すと、
奥には実は3軒も民宿があり、
素泊まりだと3500円のところがあるとのこと。
自転車の彼女たちが紹介してくれた民宿は、やはり素泊まりは無いようだ。
うーん、どうしたもんか…と悩んでいたら、
別にここのアズマ屋で寝てもいいよ、という願ってもないご提案が。
さらには、アズマ屋よりも条件のいい、
風も雨も当たらない建物の軒先で寝るのもOKと言う。
そこなら野宿ポイントとしては最高だ。
野宿場所を提供されてひとまず安心した俺は、
近くにある共同売店というのに行ってみる。
沖縄でも僻地になると、
みんなで出資して作った共同売店が生活のよりどころとなるらしい。
そこで食料を買っていたら、またもや金城さんが現れる。
ヤンバルの自然水とパン、
そして以前ももらったチマキに似ているが絶対に違うムーチーをもらい、
さらには一杯飲みませんか、おごりますよ、と言って、
ワンカップ大関を買ってくれ、店の外にあるテーブルで飲むことに。
金城さんは奥にいる200人ほどの住人すべてと顔見知りらしく、
売店にやって来る人来る人と親しげに言葉を交わしている。
あのオバアは98歳、70まで現役でタコ漁をしていたんだよ、
などと一人一人教えてくれるのが楽しい。
それでいて、土地の人同士の会話は、やはりほとんど理解できない。
なんだか東欧の一言語のように聴こえるのが我ながら不思議だ。
金城さんは語り上手である。
自身が子どもの頃の奥の話を色々と、おもしろく聞かせてくれる。
昔は産卵に来る海亀の卵を食べたとか、本体の海亀も焼いて食ったとか。
今では考えられないことだが、50年ほど前はそれが日常だったのだろう。
卵は生臭くてイマイチ、でも本体は旨かったらしい。
今でも正月にはブタを買ってきて解体してみんなで食べる習慣があるとか。
しかし動物の屠殺については今は厳しいので、
山の中で隠れて解体するそうだ。
ちなみにこの行為は「密殺」と言うらしいよ。
なんとも怖ろしげな名前で驚いてしまった。
他には、ヤンバルクイナの話。
ヤンバルクイナ、思ったよりもたくさんいるらしく、
声だけならいつでも聞けるそうだ。
ほらこの声…と言われ、キーキーと鳴くヤンバルクイナの声を聞く。
声は大きく、ほんの間近で鳴いているようだ。
ふいに年を聞かれて、35歳と答える。
へー、結構いってるんだね。
これ、よくある反応。
こんな時、35歳というのは一般的に、
もうこんなことをしている年齢ではないのかな、と感じてしまう。
もう俺は自由気ままに好きなことをして、
能天気に遊び呆けているのが許される年齢ではなくなったのだろうか。
俺の心の部分は、旅をし始めた20代の頃と大して変わっていないというのに。
「人の意見なんて気にしない、やりたいことをやればいい!」
なんてのは、言うのは簡単だが、実際にはなかなか難しいことなのだ。
これから40代、50代となれば、世間の風当たりはさらに強くなるだろう。
その年齢まで俺がまだ今のような旅漬けの人生を送っているのか、
はたまた落ち着き先を見いだして安穏な生活を送っているのか、
それはわからない。
どうだろうな、とにかくわからない。
ワンカップ大関は、
いつしか沖縄で最もメジャーな泡盛「残波」に切り替わっていた。
辺戸岬から奥までは調子がイマイチだった俺だが、
金城さんと出会って以降は、なぜかそこそこ普通になっている。
やがて共同売店が、定時を少し過ぎてから閉まり、
このささやかな宴会も終演となった。
明日も会えたら会いましょうと言う金城さんと握手して、お別れ。
酔いざまし兼汗ざましに奥の集落を散歩し、
素泊まり3500円の「北の宿」や、
自転車の彼女たちが泊まっているであろう、
民宿「海山木(みやぎ)」などものぞいてきたが、
やはり金城さんが好意で提供してくれた場所が一番だと思い、
ここに帰ってきた。
彼はなんと、地べたで寝るのは冷たいでしょうと、
ビーチ用の折り畳み式ベッドまで貸してくれたので、
ここはもう宿なみにいい環境であるのは間違いない。
ひょっとしたら雨に降られるかもしれない明日に備え、
ここならいい休養ができそうだ。
奥の町にはソフトバンクの電波がない。
少し不便である一方、
日本全土を網羅しているかのような電波の海から、
ようやく逃れ得たような安心感も覚える。
そんなわけで今日は、もしかしたら明日も旅日記のアップはできないが、
長い旅路、たまにそんなことがあってもいいと今は思える。
進んでいる時はあれほど眠かったのに、今はどうも眠れない。
昨日寝まくったせいかな。
俺は眠れない時は、
横になっているだけでも心身は少しずつ回復しているから、焦る必要はない。
そう思うようにしている。
そうすると、そのうち眠れていたりするものだ。
そうだ、走行距離は32キロ。
出発の時間と体調を考えれば、よく進んだほうかな。
ああ、またどこかでヤンバルクイナが鳴いている。
延々と寝続けた結果、体調はだいぶ回復している。
これなら走れそうだ。
今日や明日が雨だというならこの快適な宿で連泊も考えるのだが、
微妙なことに、明日の夜からが雨。
体調を勘案して、これなら進んでもいいかな、と思えてきた。
荷物を片付け、一晩じっくりと休ませてもらった部屋を出る。
ユニサイクルを手に取り、さぁ今日は走るぞと…、あれ?
空気抜けてない?
やばい、パンクか!?こんな時に!!
実は神戸から始めた後半の旅、空気入れと替えのチューブを忘れている。
だがパンク修理用のパッチと100均で買った圧縮空気の缶はある。
それでなんとかなるだろうと思っていたが、
缶は7回使えると書いてあるわりに、
試しにちょっと空気を入れてみた時点でもう終了っぽい。
しかも空気の漏れはバルブ付近から起こっていて、
もしかすると空気漏れはムシが原因かもしれない。
だとしたら、今の貧弱な装備では修理は困難だ。
やっと体調も回復して出発という時に、今度はパンクか…。
どっちもそうそうあることじゃないんだが、まさか重なるとはな。
パンクなんかしょっぱなの北海道で2回やってからは、
本州でも九州でもずっとなかったというのに。
さて、見事に出鼻を挫かれた。どうしよう。
旅先でのトラブルは、とにかく考える。必死に考える。
国頭村でもう一泊して仕切り直しも考えたが、
とりあえず事務所に行き、昨日と同じくいてくれた愛想のいい女性に、
この辺に自転車屋はありませんかと聞いてみる。
すると、あるとのこと。やった!
場所を教わり、まずはその自転車屋へ。
2キロほど歩いてようやくたどり着いたそこでは、
一人のおじさんが子供用の自転車の修理をしている。
「あのう、パンク修理をお願いできませんか。」
「…すぐにはできないよ。」
「わかりました。待ちます!」
するとおじさん、
なんと俺の一輪車のパンク修理に、すぐに取りかかってくれたのである。
パンクの原因はムシではなく、意外にもチューブの「内側」に空いた穴であった。
なんでこんなトコに穴が開く!?
激しいギャップを越えてきたせいかもしれない。
おじさんはタイヤレバーがわりにマイナスドライバーを使いつつ、
手際よくパンクを直してくれた。
ありがたい!
ここに自転車屋がなければ、以後の道のりでどれだけ苦労したことか。
おじさんに厚くお礼を言い、今度こそ出発。
もう12時近いが、体調もそんなに悪くないし、今日は進みたい気分だ。
国頭市街、本来は辺土名(へんとな)と呼ばれる町を出る。
ひとたびここを出れば、しばらくまとまった町はないだろう。
今日も向かい風は強いが、昨日や一昨日ほどではない。
まだ病み上がりなのでムリをせず、
汗をかきすぎないように、ゆっくりと走る。
途中で出会ったチョイ悪オヤジ風の3人組は、
「え!?一輪車で沖縄一周!?」
なんてえらく驚いてくれているが、そこでそんなに驚いてるようじゃ…。
実は日本縦断だと知ると、もはや呆然と笑ってハイタッチであった。
こういうリアクション、もうしばらく見なかった気がする。
沖縄で人に声をかけられまくったのはつい先日の話なのだが。
時々パラパラ雨に見舞われながらも、20キロ。
ついに沖縄最北端の辺戸(へど)岬までやって来た。
だが、ここでのんびりしてはいられない。
もう15時過ぎ、明るいうちに移動しておかねば。
そそくさと辺戸岬を出て上り坂を歩いていた時、
向こうからやって来た自転車の若い女性2人に声をかけられた。
なんと彼女たち、恩納村のレンタサイクル屋で俺の話を聞き、
どこかで会えたらいいなと思っていたらしい。
なるほど、恩納村のレンタサイクル屋といえば、彼だな。
一昨日出会ったあの人が、俺の話を彼女たちにしてくれたに違いない。
今夜はどこまで行くのかと聞かれたので、
とりあえずこの先にある奥(おく)の港までは行きたいと答えたところ、
彼女たちも今夜は奥で唯一、そして沖縄最北という民宿で泊まると言う。
素泊まりもあるんじゃないかな…と言うが、定かではない。
昨日観光案内所でベテランおばさんからもらった一覧表によると、
その民宿は素泊まりはやっていないようだが、どうなんだろう。
ともあれ、まずは奥へということで、
意外にアップダウンのキツい道をさらに進む。
病み上がりのせいだろう、少し進んだだけですぐに疲れてしまう。
そして疲れもあるが、眠い。
昨日あれだけ寝たのにやたらとアクビが出る。
明日からの不毛な道のりを思えば、
今日も宿に泊まったほうがいいのかもしれない…。
そんなことを考えつつ、ようやく奥の町に到着。
宿を探す前にまずは一息つこうと、
ちょっと道の駅っぽい「ヤンバルの里」という施設に立ち寄って休憩。
自販機で水を買って少し飲み、
さあ宿を探しに行くかと歩き出したところで、
「腹が減ってるだろう、こっちにおいで!」
と、声がかかった。
ここの職員さんだろうか?なんと事務所へと招き入れられる。
彼は金城(きんじょう)さんと言って、ヤンバルの里の管理人。
奥が出身地だそうで、ピザをご馳走になりながら、
子ども時代の奥の話などを聞かせてもらう。
さらには本当は有料らしき併設の民具館まで案内してもらい、
古いモノが好きな俺としてはとても嬉しい。
民具や農具は沖縄独特の工夫がこらされてはいるが、
形状は意外なほど本土のものと似通っており、
古来より活発な交流のあったことが伺われる。
奥はその名が示すように昔は陸の孤島で、
本島よりはむしろ北の島々との交易が盛んだったらしく、
奥の方言は沖縄本島の中でもかなり特殊なんだそうだ。
展示されている白黒写真の一つは今の国道を人力で作っている時のもので、
この若い女性は今は85歳だよ、と言って金城さんは穏やかに笑う。
今日の泊まりを聞かれ、委細を話すと、
奥には実は3軒も民宿があり、
素泊まりだと3500円のところがあるとのこと。
自転車の彼女たちが紹介してくれた民宿は、やはり素泊まりは無いようだ。
うーん、どうしたもんか…と悩んでいたら、
別にここのアズマ屋で寝てもいいよ、という願ってもないご提案が。
さらには、アズマ屋よりも条件のいい、
風も雨も当たらない建物の軒先で寝るのもOKと言う。
そこなら野宿ポイントとしては最高だ。
野宿場所を提供されてひとまず安心した俺は、
近くにある共同売店というのに行ってみる。
沖縄でも僻地になると、
みんなで出資して作った共同売店が生活のよりどころとなるらしい。
そこで食料を買っていたら、またもや金城さんが現れる。
ヤンバルの自然水とパン、
そして以前ももらったチマキに似ているが絶対に違うムーチーをもらい、
さらには一杯飲みませんか、おごりますよ、と言って、
ワンカップ大関を買ってくれ、店の外にあるテーブルで飲むことに。
金城さんは奥にいる200人ほどの住人すべてと顔見知りらしく、
売店にやって来る人来る人と親しげに言葉を交わしている。
あのオバアは98歳、70まで現役でタコ漁をしていたんだよ、
などと一人一人教えてくれるのが楽しい。
それでいて、土地の人同士の会話は、やはりほとんど理解できない。
なんだか東欧の一言語のように聴こえるのが我ながら不思議だ。
金城さんは語り上手である。
自身が子どもの頃の奥の話を色々と、おもしろく聞かせてくれる。
昔は産卵に来る海亀の卵を食べたとか、本体の海亀も焼いて食ったとか。
今では考えられないことだが、50年ほど前はそれが日常だったのだろう。
卵は生臭くてイマイチ、でも本体は旨かったらしい。
今でも正月にはブタを買ってきて解体してみんなで食べる習慣があるとか。
しかし動物の屠殺については今は厳しいので、
山の中で隠れて解体するそうだ。
ちなみにこの行為は「密殺」と言うらしいよ。
なんとも怖ろしげな名前で驚いてしまった。
他には、ヤンバルクイナの話。
ヤンバルクイナ、思ったよりもたくさんいるらしく、
声だけならいつでも聞けるそうだ。
ほらこの声…と言われ、キーキーと鳴くヤンバルクイナの声を聞く。
声は大きく、ほんの間近で鳴いているようだ。
ふいに年を聞かれて、35歳と答える。
へー、結構いってるんだね。
これ、よくある反応。
こんな時、35歳というのは一般的に、
もうこんなことをしている年齢ではないのかな、と感じてしまう。
もう俺は自由気ままに好きなことをして、
能天気に遊び呆けているのが許される年齢ではなくなったのだろうか。
俺の心の部分は、旅をし始めた20代の頃と大して変わっていないというのに。
「人の意見なんて気にしない、やりたいことをやればいい!」
なんてのは、言うのは簡単だが、実際にはなかなか難しいことなのだ。
これから40代、50代となれば、世間の風当たりはさらに強くなるだろう。
その年齢まで俺がまだ今のような旅漬けの人生を送っているのか、
はたまた落ち着き先を見いだして安穏な生活を送っているのか、
それはわからない。
どうだろうな、とにかくわからない。
ワンカップ大関は、
いつしか沖縄で最もメジャーな泡盛「残波」に切り替わっていた。
辺戸岬から奥までは調子がイマイチだった俺だが、
金城さんと出会って以降は、なぜかそこそこ普通になっている。
やがて共同売店が、定時を少し過ぎてから閉まり、
このささやかな宴会も終演となった。
明日も会えたら会いましょうと言う金城さんと握手して、お別れ。
酔いざまし兼汗ざましに奥の集落を散歩し、
素泊まり3500円の「北の宿」や、
自転車の彼女たちが泊まっているであろう、
民宿「海山木(みやぎ)」などものぞいてきたが、
やはり金城さんが好意で提供してくれた場所が一番だと思い、
ここに帰ってきた。
彼はなんと、地べたで寝るのは冷たいでしょうと、
ビーチ用の折り畳み式ベッドまで貸してくれたので、
ここはもう宿なみにいい環境であるのは間違いない。
ひょっとしたら雨に降られるかもしれない明日に備え、
ここならいい休養ができそうだ。
奥の町にはソフトバンクの電波がない。
少し不便である一方、
日本全土を網羅しているかのような電波の海から、
ようやく逃れ得たような安心感も覚える。
そんなわけで今日は、もしかしたら明日も旅日記のアップはできないが、
長い旅路、たまにそんなことがあってもいいと今は思える。
進んでいる時はあれほど眠かったのに、今はどうも眠れない。
昨日寝まくったせいかな。
俺は眠れない時は、
横になっているだけでも心身は少しずつ回復しているから、焦る必要はない。
そう思うようにしている。
そうすると、そのうち眠れていたりするものだ。
そうだ、走行距離は32キロ。
出発の時間と体調を考えれば、よく進んだほうかな。
ああ、またどこかでヤンバルクイナが鳴いている。