山原(やんばる)・南
安波の集落を過ぎてからの坂がまた、ハンパではない。
島の海側を通る道など、本来は上っては下りを繰り返しそうなものだが、
ここはなぜか上りオンリー。ひったすらの上り。上り坂。
沖縄にこんな高低差があったか!?と何か騙された気分にすらなる。
箱根を越えてきた俺でもうんざりするような、
ユニサイクルツーリスト泣かせの坂。
まさに壁のようだ。
だが、この道の救いはクルマの交通量がごく少ないことで、
おかげで貴重な平地や下りは路肩を走ることができる。
今日が平日なのと、もともと観光客があまり来ない道だからだろう。
とはいえ、たまには観光カーもいる。俺は観光ユニ。
家族を乗せたクルマが、走っている俺と並走してきて、
「写真撮っていいですかー。」と聞いてくる。
「止まりましょうか?」と言うと、
「走ってるところがいいんです!」とのこと。
あー、ハイハイ。
走りながら喋るのって結構ややこしいんだけどな。
しかしだ、彼らにしてみれば、ここで見つけた一輪車乗りなど、
ただの喋れるヤンバルクイナみたいなもんなのだろう。
キャーキャー騒ぎつつ楽しく写真を撮って、
満足したらアクセル吹かしてピューッと走り去るのみだ。
さようなら。
いかん、坂続きでちょっと疲れてるな。
他には、古宇利島で宿をしているというクルマにも声をかけられたな。
屋我地島までは行ったが古宇利島には行ってないというと、
やはりひどく残念がられた。
古宇利島がいいとすすめられたの、実はこれで3回目である。
それでいて何があるのかと聞けば、皆さん何もないという。
あの橋の長さを見ただけで一輪車野郎は行く気をなくすんだなんて、
きっと理解してもらえないんだろうなぁ。
壁のような坂は、依然として続いている。
また雨も降ってきた。
時々本降りのようにザッと来ることがあり、心身ともにヒヤヒヤする。
沖縄最高峰の与那覇岳でも500メートル程度だったハズだ。
なんだかもはやその高さを越えているような気持ちになりつつ、
パラパラ雨の中、ついに東村との境にたどり着いた。
国頭村とはここでお別れだが、東村の町はまだまだ20キロ以上先だ。
しかしここで町が変わる以上、長い坂は上りきった可能性が高い。
はぁ、やっとか…。
ちなみに写真の右側の広大な森一帯は、米軍の所有地らしい。
期待どおりにそこからは下りがメインにはなったが、
爽やかには下らせてくれず、まだダラダラとアップダウンが続く。
雨で路面が濡れると休憩もしづらくなるので、
最近編み出した簡易休憩テク、サドルにアタマを乗せて休むを連発。
東村に入って以降、
チラホラと民間団体の基地反対行動を見かけるようになった。
米軍がヤンバルにヘリパッドを造る計画を阻止しようとしているらしい。
こういった問題は、充分な知識なしにハイともイイエとも言えない。
抗議行動中の人々の横をススーッと走り抜けると背後から、
「長い旅だにィ、キミもォー。」
という声がかかった。
俺は手を振るのみである。
しかしとりあえず、
米軍のヘリパッド計画には沖縄のご当地ヒーロー、
琉神マブヤーも反対しているらしいことだけはわかった。
久しぶりに海が見えた。
やっとここまで標高が下がったんだなぁ。この先また上りだが…。
長い橋の真ん中で、
白とダークブルーのツートンに分かれた不思議な海を眺めていたら、
道路パトロール中らしき4駆が近くで停まった。
おや、自殺志願者と間違われたかな?なんて思っていたら、
出てきた2人の男性はフレンドリーに話しかけてくれる。
沖縄を愛し、訪れた人にも沖縄を好きになって欲しいという気持ちが、
そのゆっくりとした語り口からは充分に伝わってくる。
で、そのカッコイイクルマと一緒に写真撮っていいですか!?
とムリをお願いしたら、快く引き受けてくれた。
東村はもうすぐのハズだ。
さっきから畑で生えまくっている植物はパイナップルだとは思うのだが、
実がついていないのでイマイチ自信が持てない。
そうこうしているうちに、
ついに下り坂の終わり、そして長い50キロの終わり、東村へ。
いきなりデカいパイナップルの看板があったので、
あれはやはりパイナップルだったのだなぁとようやく確信できた。
いやぁ、来れるもんだな。
実力ですよ、実力。しんど…。
そして、17時か。
寝られそうなところもあるが、まだ少し早い。
そしてこの町、思ったよりも狭い。
県道が終わって国道になったら町が開けると思っていたのは甘かった。
でも奥の町からずっと繋がらなかったソフトバンクの電波が復活しただけでも上出来だろう。
まだ開いていた物産館のようなところで聞いてみると、
ここは平良(たいら)という集落で、
この先5キロほどのところに慶佐次(げさし)という岬の集落があり、
そこには共同売店などもあると言う。
ふーん、もう暗いけど、他にやることもないし、行ってみるか。
パトロールカーの人々によると、平良には宮里藍の実家があるらしい。
だがほとんど家にいないらしいし、俺もほとんど興味がないので、
他人の家などに立ち寄ったりせず平良を出て、次の慶佐次へ!
歩道もないのでライトをつけてと、おっと雨が降ってきた。
クルマが少ないのをいいことにちょこちょこと走り、
19時前に慶佐次の売店に滑り込み。
ダメモトで温かい食べ物はありませんか、と聞いてみたら、
カップラーメンがあり、お湯と割り箸もあるとのこと。
さすがは共同売店、コンビニ並のなんでも屋である。
おかげで冷えた身体は温まった。そして今度は雨だ。
ついに本降りらしいな。むしろ今までよくもってくれたよ。
ところですっかり忘れていたが、
俺はここにも以前立ち寄ったことがあるのだ。
目の前にヒルギ林と呼ばれるマングローブの群生した公園があって、
俺はここで小さな子ども達と遊んで写真を撮ったのだった。
その公園をのぞいてみると、雨を凌げるなかなかいい場所がある。
よし、今夜はここで寝るとしよう。
今ふと、もしパソコンと整ったネット環境があれば、
自分の11年前の旅日記を読み返してみたいと思った。
あの時は何を考えて、ヤンバルの森を、沖縄を走っていたのだろう。
古い旅日記は自分でも恥ずかしいので滅多に見ないのだけど。
今日の走行は57キロ。
やったぜ、沖縄最大っぽい難所をクリア。
あとは天気と相談しつつ、ボチボチ進むしかないな。
島の海側を通る道など、本来は上っては下りを繰り返しそうなものだが、
ここはなぜか上りオンリー。ひったすらの上り。上り坂。
沖縄にこんな高低差があったか!?と何か騙された気分にすらなる。
箱根を越えてきた俺でもうんざりするような、
ユニサイクルツーリスト泣かせの坂。
まさに壁のようだ。
だが、この道の救いはクルマの交通量がごく少ないことで、
おかげで貴重な平地や下りは路肩を走ることができる。
今日が平日なのと、もともと観光客があまり来ない道だからだろう。
とはいえ、たまには観光カーもいる。俺は観光ユニ。
家族を乗せたクルマが、走っている俺と並走してきて、
「写真撮っていいですかー。」と聞いてくる。
「止まりましょうか?」と言うと、
「走ってるところがいいんです!」とのこと。
あー、ハイハイ。
走りながら喋るのって結構ややこしいんだけどな。
しかしだ、彼らにしてみれば、ここで見つけた一輪車乗りなど、
ただの喋れるヤンバルクイナみたいなもんなのだろう。
キャーキャー騒ぎつつ楽しく写真を撮って、
満足したらアクセル吹かしてピューッと走り去るのみだ。
さようなら。
いかん、坂続きでちょっと疲れてるな。
他には、古宇利島で宿をしているというクルマにも声をかけられたな。
屋我地島までは行ったが古宇利島には行ってないというと、
やはりひどく残念がられた。
古宇利島がいいとすすめられたの、実はこれで3回目である。
それでいて何があるのかと聞けば、皆さん何もないという。
あの橋の長さを見ただけで一輪車野郎は行く気をなくすんだなんて、
きっと理解してもらえないんだろうなぁ。
壁のような坂は、依然として続いている。
また雨も降ってきた。
時々本降りのようにザッと来ることがあり、心身ともにヒヤヒヤする。
沖縄最高峰の与那覇岳でも500メートル程度だったハズだ。
なんだかもはやその高さを越えているような気持ちになりつつ、
パラパラ雨の中、ついに東村との境にたどり着いた。
国頭村とはここでお別れだが、東村の町はまだまだ20キロ以上先だ。
しかしここで町が変わる以上、長い坂は上りきった可能性が高い。
はぁ、やっとか…。
ちなみに写真の右側の広大な森一帯は、米軍の所有地らしい。
期待どおりにそこからは下りがメインにはなったが、
爽やかには下らせてくれず、まだダラダラとアップダウンが続く。
雨で路面が濡れると休憩もしづらくなるので、
最近編み出した簡易休憩テク、サドルにアタマを乗せて休むを連発。
東村に入って以降、
チラホラと民間団体の基地反対行動を見かけるようになった。
米軍がヤンバルにヘリパッドを造る計画を阻止しようとしているらしい。
こういった問題は、充分な知識なしにハイともイイエとも言えない。
抗議行動中の人々の横をススーッと走り抜けると背後から、
「長い旅だにィ、キミもォー。」
という声がかかった。
俺は手を振るのみである。
しかしとりあえず、
米軍のヘリパッド計画には沖縄のご当地ヒーロー、
琉神マブヤーも反対しているらしいことだけはわかった。
久しぶりに海が見えた。
やっとここまで標高が下がったんだなぁ。この先また上りだが…。
長い橋の真ん中で、
白とダークブルーのツートンに分かれた不思議な海を眺めていたら、
道路パトロール中らしき4駆が近くで停まった。
おや、自殺志願者と間違われたかな?なんて思っていたら、
出てきた2人の男性はフレンドリーに話しかけてくれる。
沖縄を愛し、訪れた人にも沖縄を好きになって欲しいという気持ちが、
そのゆっくりとした語り口からは充分に伝わってくる。
で、そのカッコイイクルマと一緒に写真撮っていいですか!?
とムリをお願いしたら、快く引き受けてくれた。
東村はもうすぐのハズだ。
さっきから畑で生えまくっている植物はパイナップルだとは思うのだが、
実がついていないのでイマイチ自信が持てない。
そうこうしているうちに、
ついに下り坂の終わり、そして長い50キロの終わり、東村へ。
いきなりデカいパイナップルの看板があったので、
あれはやはりパイナップルだったのだなぁとようやく確信できた。
いやぁ、来れるもんだな。
実力ですよ、実力。しんど…。
そして、17時か。
寝られそうなところもあるが、まだ少し早い。
そしてこの町、思ったよりも狭い。
県道が終わって国道になったら町が開けると思っていたのは甘かった。
でも奥の町からずっと繋がらなかったソフトバンクの電波が復活しただけでも上出来だろう。
まだ開いていた物産館のようなところで聞いてみると、
ここは平良(たいら)という集落で、
この先5キロほどのところに慶佐次(げさし)という岬の集落があり、
そこには共同売店などもあると言う。
ふーん、もう暗いけど、他にやることもないし、行ってみるか。
パトロールカーの人々によると、平良には宮里藍の実家があるらしい。
だがほとんど家にいないらしいし、俺もほとんど興味がないので、
他人の家などに立ち寄ったりせず平良を出て、次の慶佐次へ!
歩道もないのでライトをつけてと、おっと雨が降ってきた。
クルマが少ないのをいいことにちょこちょこと走り、
19時前に慶佐次の売店に滑り込み。
ダメモトで温かい食べ物はありませんか、と聞いてみたら、
カップラーメンがあり、お湯と割り箸もあるとのこと。
さすがは共同売店、コンビニ並のなんでも屋である。
おかげで冷えた身体は温まった。そして今度は雨だ。
ついに本降りらしいな。むしろ今までよくもってくれたよ。
ところですっかり忘れていたが、
俺はここにも以前立ち寄ったことがあるのだ。
目の前にヒルギ林と呼ばれるマングローブの群生した公園があって、
俺はここで小さな子ども達と遊んで写真を撮ったのだった。
その公園をのぞいてみると、雨を凌げるなかなかいい場所がある。
よし、今夜はここで寝るとしよう。
今ふと、もしパソコンと整ったネット環境があれば、
自分の11年前の旅日記を読み返してみたいと思った。
あの時は何を考えて、ヤンバルの森を、沖縄を走っていたのだろう。
古い旅日記は自分でも恥ずかしいので滅多に見ないのだけど。
今日の走行は57キロ。
やったぜ、沖縄最大っぽい難所をクリア。
あとは天気と相談しつつ、ボチボチ進むしかないな。