最後の夜
東部の森を抜け、夕暮れ直前に比川の集落に着くことができた。
与那国空港に降り立った時から何度も目にしているこの横断幕。
この島は今、自衛隊の基地ができるかどうかという問題で揺れているらしい。
ちなみにこの横断幕の近くには必ずと言っていいほど、
賛成派の幕もある。
現町長はどっちかって言うと賛成推進派らしい。
もちろん、俺がどうこう言う問題ではない。
だがいずれにせよ、島は変わっていくし、変わらざるをえないだろう。
そして、どう変わっていくかを島民たちが考えていけるのは、むしろ幸せなケースなのだと思う。
比川地区の共同売店。
最近建て替えたのか、古い集落の中心にあってここだけがなんだかカラフルでオシャレだ。
店員も若い女性が2人いて、赤ちゃんをあやしながら店番をしている。
ここで水と食料を確保できたので、とりあえず今晩は生きていけそうだ。
でもおかしいことに、祖納でバックパッカーの2人から聞いたキャンプ場というのが見つからない。
その2人もまだここには来ていないようだし、さてどうしたもんかな。
比川の海岸。
『Dr.コトー診療所』というドラマのロケ地になった場所だそうだ。
そう言われればそんな感じもする。夏ならさぞかし美しい海岸なのだろう。
海岸の端までよく探せば診療所のセットも残されているらしいが、これといった案内板もなかったし、
俺も事前の情報をまるで持っていないので、結局見つけられなかった。
なんせもう薄暗いのだ。
俺の関心事は、今夜をどこで過ごすか、ということに尽きる。
ヤギ。暗い。
祖納のヤバそうな電気屋で買った使い捨てカメラには一応フラッシュが付いているのだが、
スイッチを入れてもなぜかパイロットランプが点灯しない。
すでに電池が切れているに違いない。
比川は与那国で3つある集落のうちで最も小さく、店は共同売店のみで、家も少ない。
ここにいてもしょうがないと一度は集落を出たのだが、
いやそれでは途中で真っ暗になってしまうと思い、引き返してきた。
いつもどおりに野宿でもいい。
だが実は沖縄の離島は野宿を禁止しているところが多いし、見つかればあまりいい顔はされないだろう。
そして、今夜はおそらく旅の最後の夜である。
今夜ぐらいは、どこかで泊まってゆっくりするのもいいかな、とは考えていた。
もう時間がない。どうするか決めなくては。
売店近くまで戻ってきたところで、島に似つかわしくないようなオシャレな青年に声をかけられた。
それでも旅行者ではなく地元民らしく、一輪車にひとしきり驚いたあと、
これからどこに行くのかと聞いてくる。
俺は先に進もうかどうしようか悩んでいると率直に話し、比川に素泊まりの宿はないだろうかと聞いてみた。
彼は親切な好青年で、俺を共同売店に連れて行き、そこで情報を集めてくれる。
どうやら店番をしていた赤ちゃん連れの若い女性と夫婦であるらしい。
宿は浜辺の近くに一軒あるという。さっき俺も見た「月の浜」という民宿のことだろう。
だがそこはオバアが一人でやっているので、今日泊まれるかどうかはわからないそうだ。
とりあえず行ってみて、ダメならまた戻ってきてください、と言われ、そうしてみることにする。
また比川浜に行き、民宿を訪ねる。
電気はついているようだが、いくら呼んでも返事がない。
これはダメか…。
しばらくがんばった末に諦め、引き返す。
言われたとおりに共同売店に戻ろうかとも思ったが、売店にはもう青年もいないようだし、素通り。
いずれにせよ、比川に宿は一軒しかないのだ。
そこで店員さんをわずらわして、誰かの家に泊めてもらうようなことにでもなれば迷惑をかけるし、気も遣う。
それならやはり、いつものように野宿でいい。
でもここまで来たら、ついでに、最後の集落である久部良(くぶら)まで行ってみようか。
小さな島だ。5キロも走れば着くだろう。
南部の比川から、海辺の南牧場線というルートを通って西部の久部良へ。
フラッシュも使えないので真っ暗一歩手前。
ある意味、臨場感抜群。
この道は東崎(あがりざき)と同じくヨナグニウマや牛の放牧場になっていて、
暗闇の中を走っていると、道路上に無数の馬糞や牛糞があって非常に走りづらい。
もう俺の中では、与那国島の思い出といえば馬糞、というぐらいに馬糞の存在感が強烈である。
レンタカーならさほど気にならないかもしれないが、一輪車だとこれがなかなか手強いのだ。
馬糞につまづいて転倒という事態だけは絶対に避けたいからな。
そしてさらに怖ろしいことに、暗闇から突如浮かび上がるのは、馬糞や牛糞の生みの親だ。
これは怖い!!
道の真ん中に、いるのだ。馬や牛が。
昼ならのどかなもんかもしれないが…夜はやめて!!
一輪車に興奮して追っかけてきたらどうしようと思うとヘタにスピードも出せず、とても緊張する。
なんで最後までこんな目に…。
最終地の与那国島ではあちこちでカッコイイ写真を撮りまくって爽やかに一周を終え、
どこか居心地の良さそうな宿をみつけて今頃は日本縦断完了の余韻に浸っているハズだったのに。
スマホを水没させた瞬間からすべてが狂ってしまった。
まさかこんな寂しい夜になるだなんて。
牛馬とその糞をひたすらかわしつつ、遠くに見える灯台の明かりだけを頼りに、無心に走る。
ひょっとしたら、日本縦断で鍛えた俺のユニサイクルツーリングテクが、
今こそその真価を発揮しているのかもしれない。
灯台が近づいた。
それに気をとられたか、足元にゲートがあるのを見逃した。
ゲートとは、道路上に何本も掘られた深い鉄の溝。
人間やクルマは通れるが、馬は溝を嫌がって通らないという巧妙な仕掛け。
これはアイスランドでもよく見た、テキサスゲートというヤツだ。
不意に一輪車で突っ込んでしまって相当焦ったが、なんとかバランスを保ってそのまま突き抜けた。
危なかった…。
そしてそれが、南牧場線の終わり。
久部良の集落に到着したことを意味する。
日本最西端の西崎(いりざき)へ行く分かれ道が見えるが、こんな夜中に行ってもしょうがない。
まずは久部良の集落を見てみよう。最西端は明日でもまだ間に合う。
久部良は日本の最西端にある集落で、漁港だ。
カジキで有名らしく、あちこちにカジキの絵や像がある。
規模はさっきの比川よりも大きく、カメラを買った祖納よりは小さい。
ここなら宿もあるだろうし、その気になれば野宿もできそうだ。
何度か集落を往復して感じを掴んでから、まだ開いている売店に入って買い物をし、
店番のおばさんに、この集落に素泊まり宿はありませんかと聞いてみる。
よし、あるらしい。早速行ってみよう。
でもちゃんと教えてくれたからいいけど、こんな時にそっけない対応は効くなぁ。
教わった宿は漁港のすぐ隣にある、『はいどなん』というところ。
わりと大きな合宿所のような民宿で、素泊まりはあっさりOK。
トイレ・シャワーが共同の一泊3000円。
田舎の民宿とは思えないビジネスホテル並みにビジネスライクな宿であるが、この際なんでもいい。
ようやく最後の宿が決まった。
もう外にメシを食いに行こうという気もおきない。
それに今日、祖納・比川・久部良の売店でそれぞれ買った食料を消費しないとな。
それにしてもパンにお菓子、アンコ状の紅芋。
甘いモノばかりだ。なんせ選択肢が少なかったからなぁ。
やはり疲れているようで、すぐに寝てしまった。
が、深夜になぜか起きた。
飲みかけでフタの開いたアクエリアスのペットボトルを近くに置いて寝たのが大失敗。
そこになんと、見たこともない小さなアリが大量にたかっている。
ベッドの上や俺の顔、身体にもアリが乗っかっていて、そこそこスリラーな状態。
ぐわああああ・・・・最悪だ。
あわてて無数のアリをはたき落とし、部屋にもう1つあったベッドに移動して寝直す。
完全に自分のミスとはいえ、これがはるばる日本最西端までやって来た夜にやることか。
はぁ…。