6月11日#3 ハバナの女
暗くてよくわらないが。
とりあえず、ちゃんとハバナに向けて進んでいるようだ。
舗装は思ったよりはマシな感じ。
でもいつものことで、どんな国でも空港から首都までだけはキチンと整備していたりするから油断はできない。
もう深夜ではあるが、さっそくユニサイクルに装備したライトをピカピカさせて、乗れるところは乗る。
おおー、ついにキューバでユニサイクリング!
これはどうしてもテンションの上がる瞬間である。
深夜となれば人も少ないし…って、なぜか道のまんなかで歌ってる集団もいるけどな。
意外と人が歩いている。暑い南国の夜はこんなものか。
ともかく、暗いのと眠いのをのぞけば、そこそこいいスタートと言えるかもしれない。
ただこのテンションで28キロ進んで、朝にはハバナにたどりついてやるぜ!というほどの勢いはない。
様子を見ながら乗ったり歩いたりを繰り返して進んでいると、交差点で女の子の2人連れに遭遇。
まだ若い、10代後半ぐらいの、褐色の肌を持った元気そうな子たちだ。
こんな時間にこんなところで何をしているのだろう?
とりあえず目が合ったので、交差点で道がよくわからなかったこともあり、
「ハバナはこっちかな?」
なんてジェスチャー混じりに聞いてみる。
だが、返ってくるのはスペイン語のラッシュである。やっぱりな!!
案内係のおっちゃんならともかく。
女の子との会話も楽しめないとは、スペイン語力のなさが今さらながら悔やまれる。
どうにかハバナの方向と、この一輪車で行くんだよ、という要点だけを押さえて、彼女らと別れる。
そうかぁ、今後もこんなことがひたすら繰り返されるんだろうなぁ。
同じカリブ海でも英語が通じるジャマイカとかにしとけばよかったかなぁ。
それにしてもハバナは遠い。いつ着くんだろう。
そんなことを考えながら黙々と進んでいると、俺の横でタクシーが止まった。
タクシーの勧誘は空港でもたくさん受けたが、意味なくそんなものに乗る俺ではない。
なんのために一輪車を持ってきたと思ってるんだ!なんて言ってもきっと理解してもらえないが。
ところが、今度のタクシーはちょっと違う。
なんと後部座席に乗っているのが、さっきの女の子2人組なのだ。
最初は窓から顔を出して、ついにはドアも開けて、
「このタクシーに乗りなよ。一緒にハバナまで行こうよ!」
というようなことを訴えているらしい。
ふーん?なんでまた俺を誘う気になったのか。タクシー代のためだろうか。
少し考える。
ただタクシーに声をかけられただけなら乗りもしないが、
こうやってさっき話をした女の子たちと一緒にハバナに行くのであれば、ちょっとおもしろいかもしれない。
いい加減疲れてもいるし、今は何もわからない、まさに暗中模索の状態。
ここは流れに身を任せてみるのもアリかな。
そう結論を出し、このタクシーに乗ってみることにした。
まずは情報収集、そしてデカい街に行ってみることだ。
クルマは快調にハバナへと向かう。
夜なのでよくわからないが、ほとんど直線の一本道のようだ。
ドライバーの男は観光客を相手にするためか、ほんの少しだけ英語を話す。
ズンズン話しかけてくる彼と彼女たちの話をなんとか理解したいのだが、正直ほとんどわからない。
時にはクルマのルームライトを照らして筆談なども交えつつ、少しずつ話を進めていく。
そうすると、だんだん、彼女たちの主張がわかってきたのである。
2人の女の子のうち、ヤケに積極的に俺に話しかけてくる子、いわく。
「あなた今夜泊まるところがないの?私いいところ知ってるよ。そこに行かない?」
うーん結構です。こんな時間から宿に泊まることほどもったいないことはない。
だが彼女は諦めない。諦めない、どころか。
「私、あなたのこと好きよ。ガールフレンドだよ。わからない?ホラホラ。」
そういいつつ彼女は、自分の短パンのスソをチラチラさせるのである。
暗くてよく見えないながらも、(たぶん)可愛いキューバっ子が、上陸した直後の俺を誘惑してくるという図式。
すさまじい状況である。
まだ幼さを残すといっていいぐらいの歳だと思うのだが。
「気持ちは嬉しいんだけど、俺は来たばっかりで金もないので、宿には泊まらないし君とも遊べないよ。」
かなり苦労してこういう説明をすると、彼女はムーッと絵に描いたようなふくれっツラをするのであった。
俺は正直なところ女の子は嫌いじゃないし、むしろ好きである。実に健全である。
だが海外でこういう状況になって、そのまま流されたことが一度もない。
危機管理。財布管理。プラス何か、動かしがたいもの。
そういったいろんな理性がなぜか強力に働くのだ。
せっかく海外に来たんだから、もっと奔放に、開放的に行動すればいいのにと自分で思わんでもない。
でもそうはしないし、結局ならない。我ながら大した防御力だとたまーに思う。
さてそれからの彼女は、要求をもっぱらタクシー代をおごってくれという方向性にシフトしたようだ。
なるほど。タクシー代をシェアするのではなく、おごらせるために俺を乗せたという一面もあるわけだ。
大して金もない若い女の子たちが夜のハバナに遊びに繰り出すには、タクシー代は高すぎるのだろう。
いいよ別に。それぐらいは払ってあげよう。
何のイベントもなくただタクシーに乗るよりは、よほどいい経験ができたからな。
のんきに見えるかも知れないが、ここまではすべてが熾烈なスペイン語のやり取りなのである。
外の景色を眺める余裕すらなかった。
そんなタクシーはいつのまにか、ハバナに着いていたようである。
深夜なのにそこだけ妙に明るい広場に、タクシーは止まる。
図体はデカいが気の弱そうな白人ドライバーいわく、
「この広場がハバナの中心部だ。ここでいいかな?料金は25CUCだよ。」
25CUC(約2500円)なら、空港からハバナまでのタクシー代としては妥当と思われる。
だが空港でもらったCUCは、すべて50CUC札なのだ。
この国での価値を考えれば、50CUC札はかなりの高額紙幣になると思う。
仕方なくその50CUC札を渡してみると、案の定、お釣りがないと言い出す。やっぱりな…。
ダメだ、ちゃんとくれ!とシブると、20CUCだけ返してきた。
「この女の子たちの分もあるから…。」
そんな言い訳が余計にうさんくさい。
3人で乗車すると1人より高くなるタクシーなんぞ、『日本では』、聞いたことがない。
でもまぁ、海外旅行の初日でボラれるなんてのは、俺にとってはある意味お約束である。
最初に色々と経験して、だんだん賢くなっていけばいい。
それにこの連中とのドライブ、それなりに楽しかったしな。
結局30CUC払って、タクシー、そして彼女たちとはここでお別れだ。
希望どおりにタクシー代を出してあげたというのに、あの子は今もふくれっツラ。
いまだに俺をどこか夢の国に連れて行きたいようで、熱心にお誘いしてくれる。
ごめんねー、俺もわりと繊細でねー。
ここで、あ、そうだと思い、スペイン語会話集からモロに抜き出して、彼女たちの名前を聞いてみた。
「コモ セ リャマ?(お名前は?)」
ってヤツね。
彼女たちは笑顔で答えてくれたんだが、え?何それ、覚えにくい。
…というわけで、聞いたそばから彼女たちの名前を忘れてしまった。
もう一度聞こうにもタクシーはもう行ってしまったし、あとの祭り。
いかにもな西洋風ネームではなく、なんだかこう、かなり違和感のある響きだったよ。
確かに広場だが。一体どこなんだここは。
さっそく空港で買ったペラペラ地図を広げてみるが、地図を見てもここがハバナのどこなのかがよくわからない。
あのドライバーの話しぶりや周囲の景観から考えても、ここは旧市街と呼ばれる観光エリアなのだとは思うが。
それにしても、もう0時を過ぎているのに、ハバナの人出はとても多い。
ベンチや段差に座り込んでいる人々。いろんな方向に歩き回っている人々。
いずれにせよこんな時間に何をしているのやらまったくわからん人間たちが、ガヤガヤと息巻いている。
人間だけではなくクルマの数も多い。大半はタクシーか。
キューバの特徴として話には聞いていたが、とにかく古いクルマが多い。
クラシックカーと呼べそうなものもあるが、ただのボロ車としか言えないものもたくさん走っている。
クルマ好きでもない俺からすれば、残念ながらどちらも大して興味は惹かれない。
よし、まずはあたりを散策して、正確な現在地を割り出すとするか。
深夜でも明るい大通りを何往復かしてみてわかったが、この大通りは大して長くもない。
ライトアップされた大きな建造物群を抜けてしまうと、あとはもう暗闇が支配している。
じゃあもうちょっと行動範囲を広げてみるか。
お、これは。中華街か。
散策でなんとなくわかりかけていた現在地は、この中華街の入り口をみつけたことで確定した。
なるほど、やはりここはハバナの旧市街だ。
だが現在地が確定したところで、ではどうするかという方針は何も決まっていない。
旧市街は海が近いので海沿いにも出てみるが、夜に行ってもただ暗いだけで何もない。
何もないくせに人はウロウロしているから、そのへんで寝るというわけにもいかないのがつらい。
さーてどうしたもんか。
結局、再び最初の明るいところに戻ってきた。
重いザックを下ろして座ると少しホッとする。ガイドブックなどを眺めつつ、じっくりと考えるとしよう。
このライトアップされた建物はどうやらカピトリオ、旧国会議事堂らしい。
もうここでジッと座ってる間に朝になってくれればありがたいのだが、まだ1時過ぎだ。
そんなことを考えていると、一人の若い女性がこちらに近づいてきた。
なんだ、またピンク色の勧誘か!?と思いきや、
「あなた、こんなところで何をしてるの?」
そういうことを言っておられるようだ。
持っているかぎりのスペイン語のボキャブラリーと辞書を駆使して状況を説明すると、
「泊まるところがないなら知り合いの宿を紹介してあげようか?」
そういって携帯電話を取り出す彼女。
いやいや、こんな時間からもう宿はいいんだ。あとは朝を待つだけだから。
しかし驚いた。ネットは普及してなくても携帯はみんな普通に持ってるんだなぁ。
彼女と非常に時間のかかる会話を繰り広げている間に、さらに彼女の知り合いらしき女性が参入。
2人して怪しい日本の旅人のことを何か色々と心配してくれているようである。
とりあえず、ここで寝るのは仮眠程度でも絶対にやめたほうがいいとのこと。
タクシーの時はそれどころじゃなかった写真を今度は撮る。忘れないように名前も聞いておこう。
左の子が最初に話しかけてくれた、スーセンちゃん。
右の子が後からやって来た、イリディーベちゃん。
な?いかにも覚えにくい名前だと思わないか。
キューバ人はみんなこんな調子なんだろうか。
彼女たちは俺のメモ帳に、名前と一緒に電話番号も書き込んでくれるのであった。
「何かあったらここに電話してね。」
とのことだが、ここに電話してスペイン語で「オラ!(やあ)」と挨拶した後、俺は一体何を喋ればいいのだろう。
そんな親切な彼女たちとの別れ際、ずっと気になっていた疑問をブツけてみる。
「こんな時間にここで何してるの?」
「えー?うーん、そう、…散歩してるのよ。」
そうか、散歩か…。
彼女たちと話している間に、俺の方針は決まっていた。
ハバナで野宿はムリだ。
首都ハバナの観光なんてのは後回しにして、もうさっそく走り出そう。
ユニサイクルツーリングを無事に終えて、もしまだ時間が残っていれば、
ハバナに滞在して昼の観光地めぐりなんかもじっくりやってみればいいのだ。
よし、かなり眠いが、ここは行くしかない!
大通りを抜ければ、そこはもう延々と続く古い町並み。
アメリカ領時代、もしくはもっと昔のスペイン植民地時代から変わらない街並みなのだろう。
古くて、ボロくて、暗くて、寂しい。
昼間に見ればまた印象は違うのかもしれないが。
とにかく俺は、一輪車に乗って深夜のハバナを走り出した。
とりあえず目指すことにした次の目的地は、海辺のリゾート地、バラデロだ!