6月12日 モロモロの誤算

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実は俺もよく知らないのだが、これがキューバだ。
東西に細長く、全長は1250kmあるらしい。
意外と広い。さすがはカリブ海で一番デカい島だ。
すぐ北にはアメリカ。南にジャマイカ。東には見えないがメキシコがあるという立地。
 
さて。
全長が1000km以上あるということは、滞在予定が1ヶ月の俺の場合、まず全島一周は難しいということになる。
全長1000km以上の島を一周するとなると走行距離は余裕で2000kmを超えてしまうが、
アイスランドや日本縦断の経験からして、俺の一輪車旅のペースでは30日で2000kmは走れないからだ。
帰国日になってもまだキューバのどっかで路頭に迷っているなんてシャレにならない。
となると、一周は諦めて、縦断か。いや今回は横に長いから横断と言ったほうがいいのか。
まぁとにかく、今いる首都ハバナから東に向かってずーーーっと進んでいけばいいってことだな。
 
手始めは、バラデロの町。
手始めと言いつついきなり140キロほどあるのがなんとも言えないが、
ハバナ周辺には他に大した町もなさそうなのでしょうがない。
バラデロは海辺の一大リゾート地だそうなので、きっと賑やかなところではあるだろう。
 
そんな感じで方針は決まったものの、深夜だ。
まだキューバに降り立って6時間もたっていない。
飛行機の中ではよく眠れなかったし、エコノミー17時間連続修行で疲れたし、時差ボケも多少はある。
さらに首都ハバナは一部の中心地を外れると、とにかくあっさりと暗い。
オマケに広い道路を伝っているハズだが、道には標識のようなモノがほとんどなくて、
ちゃんとバラデロ方面に向かっているかどうかがわからない。
方角さえわかれば大丈夫だろうと思うかもしれないが、
このあたりの道は標識がほとんどないくせに分岐が多く、現在地すら本当にわからないのだ。
 
少し歩いては、休む。
心身ともに疲労していると、ザックが重い。
深夜で水を買えないのもつらい。
空港で買った500mlのミネラルウォーターはすでに飲み切ってしまった。
ザックにたまたま入っていた飴を舐めて渇きをごまかしつつ、朝を待ちわびながらチビチビと進む。
 
深夜だけにあまり人と遭遇しないのはありがたいが、それでは道も聞けない。
聞くと言っても、それはスペイン語の嵐を意味するのであるが。
思えばスペイン語なんて、キューバ行きを思いつくまでは、
エルニーニョとか、パルケ・エスパーニャとか、コモエスタ赤坂とか、マジでそれぐらいしか知らなかった。
当たり前だがその程度の知識では会話にならないわけである。
キューバに着いてすでに何人かとコミュニケーションはとってきたが、
あれが会話だったかといえば非常に疑わしいレベルだ。
朝が待ち遠しい一方で、これから大量のキューバ人たちと相対しなければならないことに不安はある。
 
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さまよい続けて、朝6時半。
ようやく少し明けてきたか。思っていたよりも夜明けが遅い。
 
それにしても道がわからない。
細長い島なのに、なぜこんなにもややこしいのか。
道端のベンチで座りこむまだしもマトモそうな爺さんや、何かの施設の守衛さん、
ガソリンスタンドのおっちゃんや、パトロール中なのかよくわからん警官。
実はこの間、いろんな人々に、
 
「バラデロへはどの道を行けばいいのか?」
 
と聞きまくってきたのだ。
それでいてなおサッパリわからないとはどういうことだ。
そもそも、教えてくれる方向がイチイチ違うような気がする。
彼らの教え方がマズいのか、それとも俺が彼らの言うことをキチンと理解できていないのか。
 
広ーい範囲を四角く回って一周してしまった時点で、もう人の言うことはアテにしないと決めた。
夜明けの太陽に向かって歩けば、自然と東に進むハズだ。
そうすれば目的地のバラデロか、違っても進行方向には行けることだろう。
そう考えて、疲れた身体を押し進めていったのだが…。
 
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あれ、ここ。
ひょっとして、ハバナじゃないか…?
 
なんと、怖ろしいことに、ハバナに戻ってきてしまったらしい!
どこでどう間違えたのか。
慣れない国で夜の移動、そしてほとんど標識のないキューバの道。
それらを考えても、まさか元に戻ってしまうとは思わなかった。爽快なまでにアホだ。
夜明けまで歩き続けたあの苦労は一体なんだったのか。
 
でもまぁ。
戻ってきたものはしょうがない。
せっかく日中のハバナに来たついでに、銀行でペソ・クワーノ(人民ペソ)を入手するとしよう。
しかしその前に、まずは水が欲しい。ノドが乾いてしょうがない。
 
おっ、ガソリンスタンドに併設された、24時間営業の店というものを発見。
さっそく入って…あれ、開かない。
中にいたおばさんが渋い顔で、「閉まってるよ!」と手を振る。
24時間営業じゃないのかッ!!
 
別のガソスタ併設の店で、ようやく水と、キューバオリジナルのコーラを買うことができた。
あぁ、生き返る…。
あのアイスランドの旅から2年。
渇きの辛さというものを、俺はすっかり忘れていたようだ。
水がなくては旅はできないし、生きていけないのである。
暑いこの島では川の水を飲むわけにもいかんだろうから、今後は水の確保には気をつけないとな。
 
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ここはまさしく、昨夜も来たハバナの旧市街だ。
正面に見えるあの建物は俺が昨夜、スーセン&イリディーベに出会った旧国会議事堂である。
明るい時に来るとかーなーり印象が違う。
学生なんかも歩いてるしな。あぁ、なんて健全な。
 
人民ペソへの両替は、CADECA(カデカ)と呼ばれる銀行でできるハズだ。
昨夜スーセンにも教えてもらったオビスポ通りという旧市街の繁華街?に行くと、確かにそのカデカはあった。
だが、10時を過ぎても開いていない。そして人がズラズラと並んでいる。
並んでいるということは、いずれは開くのだろう。
そう思い、俺もイヤイヤながら並ぶ。昔から並ぶのは嫌いだ。
それにしても銀行ってのは、つくづくどこの国でも同じような雰囲気をまとっているものである。
マジメそうでいてダラけているというか、そういう感じ。
 
そんなカデカが、ようやく営業を開始してくれたらしい。
長い列は少しずつ動く。守衛の兄ちゃんが案外と親切で、
 
「その重そうなザックと奇妙な乗り物をココに置いときな、俺が見張っとくから。」
 
みたいなことを言ってくれるので、お言葉に甘えて荷物を預けた。おぉっ、カラダが軽い!
そんなことをしてる間にやっと俺の順番が来て、建物内に入れてもらえる。
そして、いかにも銀行員然とした無表情な女性と対峙。緊張の瞬間だ。
 
いくら両替するかはギリギリまで悩んだが、長い旅のことを考え、200CUCを出すことにした。
50CUC札が4枚。日本円で約2万円の価値である。
どう見ても銀行員な女性に、俺はおそるおそる4枚の50CUC札を渡し、
 
「ペ、ペソクワーノにしてください…。」
 
と、相当な腰の低さでお願いするのである。
キューバのペソ、という意味で日本のガイドブックには『ペソ・クバーノ』と書かれているのだが、
ペソクバーノと言ってもあまり通じないことがだんだんわかってきた。
クバーノではなくクワーノって言わないとわかってもらえないらしい。
面倒な…。
そしてこういう単純なことも、散々なやりとりの末にようやく会得できるのだ。
 
さて銀行ウーマンは、なにやら機械で札を数えている。
そのままサッサと渡してくれればいいものを、わかりにくい言語でもって、俺にも確認しろと指示してくる。
なんでイチイチそんなことを…って、ええ!?
 
なんじゃこりゃ!
多い!!
 
札束なのである。
ドン!と出されるのである。
財布になど入るわけがない。にわか成金もビックリの札束。
思わず英語で
 
「too much!!(多いよ!!)」
 
と言うと、
あの冷酷無比な社会主義国的銀行ウーマンが、ちょっと笑ってくれた。
 
そんなカデカを出て。
まずは海に。
 
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しかしこの量…。
脅威の帯封。まさに札束。成金万歳。
 
1CUCは、24ペソクワーノに両替される。
俺は200CUCを渡したので、つまりこれは、4800ペソクワーノの束なのである。
何も考えてなかった。
まさかこんなモノがやってくるとは思わなかったんだ。予想外にもほどがある。
そりゃ銀行ウーマンが怪訝な表情をするわけだよな。
いくら1ヶ月の滞在とはいえ、この量。
果たして使い切れるだろうか。どんどん使わねば。
 
もっとも、仮に余ったとしても、ペソクワーノからCUCに戻すこともできるのだ。
だがその際は、24ではなく25ペソクワーノが1CUCに替わるので、少しだけ損をする。
そしてその際は、またあのカデカの行列に並ばなければなるまい。
 
大量の札束は、ほんの一部だけを財布に入れ、残りはザックの奥深くにしまいこんだ。
札束に驚いていて余裕がなかったが、よく見ると、昼間の海はそれなりに美しい。
ここはカリブ海なんだよなぁ。
あまり実感も、感慨もないけど。
 
さあ、大量のペソクワーノも手に入れたし、これで準備は整った。
旅の仕切り直しだ!