6月13日 キューバの掟

夜。
疲れで判断力が鈍ったか、かなり微妙なところに張ってしまったテント。
ときどき人が通りがかったり、近くで何か話したりしている気配を感じたが、やれやれ。
どうやらセーフだったようだ。

ほとんど身動きもできないような狭いテントの中でも、多少は眠れたらしい。
午前3時。
目も覚めたことだし、早々に出発しよう。
なんといっても昼間は暑いからな。

ところで、暑いのも確かに大変なのだが。
人力旅においてまず心配なのは、実は雨である。
生身で外界を旅する時、雨というのは思いのほか厄介なものだ。
だが、今回のキューバ旅ではネットが使えない。よって、天気予報をチェックできない。
もし雨が降れば、その時その場でどうにか対処するしかないのだ。

日本ではもはや隙間なく張り巡らされたネットワークの檻から脱出して、
これはこれで気分がいいつもりでいた。
しかし、いざ携帯が使えないと、明日の天気すら確認できないんだな。
日頃、自分がいかに無意識に、そのネットの檻を満喫していたのかがわかる。

それに対して今のキューバ人は、外の情報をほとんど持っていないように見える。
知らないのは、ないのと同じか。
そしてそれが、社会主義国家であるこの国の方針なのだろうか。

夜明け前の暗い道のりを、トツトツと歩く。
この時間帯ではさすがにクルマもほとんど通らないので、ユニサイクリングをしようと思えばできる。
でも今は乗り気ではないのだ。
足元は暗いし、誰にも見られてないしな。

キューバという知らない国にやってきた新鮮さ、そして興奮は、3日目ともなればもうすっかり落ち着いた。
今はただ、夜明け前の、おそらく海に面している暗い道路を歩くのみ。
たまに人が声をかけてくるかと思えば常設してある検問施設の警官で、
何を言うかと思えば「乗ってみせてくれ!」なのである。
サービスで乗ってみせ、結局そのまましばらく走ったりする。

一輪車を抱えて、こんなに遠い島まで来た。
このエネルギーと時間を何か他の、もっと有意義なことに使えなかったものかな、なんて思う。
それが思いつかなかったから、今こうしてここにいるんだけどな。

あまり休まず3時間ひたすら進み、疲れた。
でも太陽のいないこの時間は、とにかく涼しい。クルマも少なく安心。
ひんやりとした海風を浴びながら、今のうちに距離を稼ごう。
キューバの風を感じている。
もう夜明けだ。

そしてやがて、朝9時。
小さな町に着いたら、ガソスタ併設のショップがもう開いている。
24時間営業なのかもしれない。これはありがたい。
ありがたい、が。

なんと、これからモノが買えないかもしれない。
この店は、高額な50CUC札どころか、10CUC札すら受け取ってくれないのだ。
もっと小さな額の札か硬貨を出せと。
ないんだよなぁーなんて言いながら財布の中身をのぞけば、
あるじゃないの!!とキツい調子で貴重な1とか5とかの低額CUC札をブン取られる。
うわー。
少額紙幣はまだ少しは残っているが、これからどうすればいいんだ。

買い方も失敗した。
今まで見てきたキューバの店はどれも、カウンターの奥に並べてある商品を指定して取ってもらう方式。
24時間営業の店もあるとはいえ、日本のコンビニみたいに、
カゴに好きなだけ放り込んでレジに持っていくスタイルとはほど遠い。
しかし今回の店は、一部の商品が目の前の手に届くところにあった。
そこで何気なく商品をパッパと手に取ってカウンターのお姉さんのところに持っていくと、
彼女は目を剥き出して驚き、信じられないというような顔をされてしまう。
その時点ですでに心象が悪く、支払い時に50CUC札なんて出したもんだからさらに警戒され、
前述のようなキツい対応をされるに至ったわけだと思う。

とにかく、日本の常識が通用しないことを痛感する。
笑顔で「オラー(やあ)!」なんて言いながら入っていっても、
向こうから笑顔が返ってくることがそもそも稀なのだ。
まずは無返答&無表情で身構えられる。
こちらも実際そこそこ怪しいのだから仕方ないのかもしれない。
だがもし、ここからの気の利いたワンプッシュがあれば、しかめ面が笑顔に変わってくれるのだろうか。

それはそれとして。
大した種類の商品も置いていないのに、
なぜイチイチ表を見ながらひとつひとつ商品の値段を確認しなければならないのか。
この程度の品数、日本なら始めて1ヶ月のアルバイトでも値段を暗記してしまうだろう。
これは能力の差ではなく、やる気の差なのだと思う。
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まぁとりあえず、今回は食料が買えたから良しとする。
ちなみに背景が真っ白なのは、昨夜テントの写真を撮った設定のままだったため。

ところでこの食料、と言ってもただのお菓子だが、
実はこれ、キューバで初めて買った食べ物である。
これまでは飲み物と、ザックの中に入っていた飴ぐらいで適当にごまかしていたのだ。
とはいえ空腹を耐え忍んでいたわけでもなく、
長いフライトや運動不足のおかげでこれまではさほど食欲がなかっただけ。
水さえ飲んでいれば活動できるなんて、我ながら便利な身体だなーと考えていたのだが、
人力旅をやるにはやはり食わないとダメらしい。
思えば昨日やたらと疲れていたのも、ロクに食べてなかったせいかもしれない。

そんなわけで、久しぶりな固形物を食い、気持ちは少し落ち着いた。
ふたたび移動を始めるが、あいかわらず気は乗らない。
うーん、これからどうするよ、買い物。
金はあるのに何も買えないなんてダサいにもほどがある。
…はぁ。
こんなことして、一体何が楽しいんだろう。
日本の常識が通用しないところに来たかったはずだが、もう帰りたいよ。

そんな時。
珍しいことに、馬車に乗った家族に声をかけられた。農作業帰りっぽい。
距離が長くて大変だろうみたいなことを、俺にもわかるように単語を何度も言い換えて伝えようとしてくれる。
ああ、馬車かぁ。これに乗ればラクなんだろうなぁ。
馬車、乗ってみたい。
でも、話しを終えた一家の馬車は、ズギャッ!と方向転換して逆方向へとパカパカ走り去るのである。
おいおい、俺を見つけてわざわざ追ってきたのかよ!?
それでもまぁ、少しは元気になった。あの明るい家族のおかげか。
疲れの半分は、心だ。

そして昼過ぎ。もっとも暑い時間。
カリブの空は青く澄みわたって美しいが、なにしろ暑い。
建物が少ないキューバの郊外では、直射日光から逃れるためには木陰を探すしかない。
だが見渡す限り、マシな木陰はまったく見当たらない。
それでも今は、休憩せずにはいられない。
やむをえず、道端の草が生えた斜面に寝転ぶ。
そのまましばらく目を閉じて休んでいたら。

「疲れてるのー?」

という、大きな声が聞こえた。
『疲れ』、カンサーオは俺もよく使う単語なので理解できる。
声はここから少し離れた民家にいる女性のものらしい。
ケガや病気で寝ていると思われても困るので、

「そう、疲れてるんだよ!」

と答える。
すると彼女、こんなようなことを言う。

「そんなところで寝てないで、こっちに来なさいよ!」

 
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キューバ初。家に呼ばれる。
ちなみに目の前の斜面で寝ていた。
このアングルから見ると、あそこで人が寝ていたら確かに気になる。

さて、初めてキューバ人宅にお邪魔することになったのはいいが。
ここで一つ、とても重要なことがある。

キューバでは、一般人が外国人旅行者を家に泊めてはいけないという決まりがあるらしいのだ。
したがって、外国人旅行者が宿泊できるのは、ホテルか、
政府の許可を受けたカサ・パルティクラルという一般家庭が営む民宿のみ。
キューバには、日本では考えられないこんな決まりごとがあるのだ。
さすがは統制の効いた社会主義国と言うべきか。

 
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俺を呼んでくれたこの女性はサーニャさん。この家の主婦だ。
彼女はこのテラスの場所を示して、

「ここでシェスタしていくといいわよ。」

そう勧めてくれる。
なるほど、建物の中じゃなくて、外。
これならグレーゾーンか。
この家に泊まるわけではないが、中に入れてもらうのも大丈夫なのかなと心配していた。
でもこのテラスならそう気兼ねは要らないだろう。

安楽椅子に座り、サーニャさんが出してくれたマンゴージュースを飲む。
濃厚で実にうまい。
ジュースを飲み終われば、今度は床に直接ゴロ寝である。
おぉー、シェスタだ。
まさかこの俺が本場(?)のシェスタをする日が来ようとは。

前から気づいていたが、キューバの郊外の家には大抵こうした日陰を作る庇のついたスペースがある。
キューバは暑いが風は比較的涼しいから、
気温が高い日には自宅のこういった場所で過ごすのが快適というわけなのだろう。
たしかにここは涼しく、快適。
直射日光を遮るだけでこんなにも違うのだ。
オマケにサーニャさんは、家の中からコードを引っ張ってきて、俺に扇風機の風を当ててくれる。
ああ、これはもう、昼寝するには良すぎる環境だ…。

それにしても、おかしい。
敷地内で寝ていいよなんて言われたのもこれで2度目だ。
キューバのややこしい決まりごとのせいもあるのだろうが、やはりちょっと変わった親切だと思う。

そして熟年の女性といえば、なぜか皆、
俺が毎日どこで寝ているのか、何を食べているのかを詳しく聞いてくる。
ちゃんと食べて寝てそうにない人間を見ると心配になってくるらしい。
これはキューバ人に限らないので、たぶんそういう性質なのだろう。

 
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3時間半も寝て、少し回復。
なるほど、一番暑いこの時間帯に寝るシェスタという風習は、なかなか合理的かもしれない。

目が覚めた俺に、サーニャさんがコップで冷たい水を出してくれるのだが、
そのコップの中には白いカスのようなモノがたくさん踊っている。
どうやら水道水のようだ。たしかキューバの水道水には少し気をつけなければならなかったはず。
それが腹の弱い俺の場合はなおさらである。
せっかく好意で出してくれた水を断るのはつらいながらも、
正直に俺は水道水だと腹を壊すかもしれない、ということを伝えてみる。
するとサーニャさんは何事かを説明しはじめるので、辞書を使って翻訳に努めてみたところ、

「この水道水は煮沸してあるから大丈夫なのよ。」

とのこと。
ここまで言われると断るわけにもいくまい。
フワフワ浮いてる白いカスが非常ーに気になるが、ここはキューバの煮沸した水道水を一気に飲みこむ!
うわ、キューバの水、あんまりおいしくない。
キューバ産のミネラルウォーターがすでにあんまりな味だから期待はしていなかったが。

しかし、水の味などはこの際どうでもいいのだ。
道端で寝ていた俺に声をかけ、制約があるにもかかわらず、家屋のそばまで招き入れてくれたことが嬉しい。
3時間半も寝かせてもらったのでそれなりに元気も出た。
ありがとうサーニャさん!

 
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サーニャさんに別れを告げ、ふたたび路上に出る。
やはり暑い。少し走っては休みたくなる。
よく見ると遠くに馬がいる。

全然関係ないが、キューバで不思議なこと。
キューバはとんでもない旧車社会なのに、なぜかこれまで自動車工場らしきものを見た覚えがない。
こうも古いと新品純正パーツなどはないだろうに、
クルマが壊れたら一体どこで直しているのだろうな。これは気になる。

 
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ああ、今日もやっぱり、全然進めない。
シェスタしてもだめ。効果は長くは続かなかった。
この先の、ゆるい坂をのぼっていく気にどうしてもなれない。
もういかにも暑そうな感じしかしないのだ。
よし、また休憩。

一度休んだらなかなか動けない。
日焼けで顔も腕も赤くなって痛い。
ひどく暑かったこの二日間で一気に焼けたものだ。
カリブ海の紫外線は思ったよりも強烈らしい。

ここはキューバにしては珍しく、二本の道路が十字に立体交差している場所。
その日陰でじっとしていたら、もう18時。
まだ明るいけど、ここは野宿に適しているし、これからムリに走ったところでいくらも進めるとは思えない。
それならもう、思い切ってここにテント設営だ。
今夜は橋の下で寝る!

 
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今日の走行距離、なんと32キロ。
一輪車旅をするようになって、進みたいのにこれほど進まなかったことが今まであったか。

でもいいんだ。
当面の目的地であるバラデロ以降は、特にどこに行きたいということもない。
ただ日数を消化すること。できるだけ金を使わず。安全に。
キューバの真ん中あたりにある、歴史的建造物でちょっと有名らしい、
トリニダーという町にでも着ければよしとしようぜ。

今はとにかく、眠るとしよう。