7月3日 腐り模様
さて、今日はついにバスで移動の日だな。
まずはハバナに戻ること。
サンティアゴでやり残したことなど一つもない。
例によってこの街は、俺がいなくなった明日から一週間ぐらい続くカーニバルだかフェスティバルだからしい。
あまり興味もないので直前に脱出できるのはまったく宜しい。
健康と安全に細心の注意を払い、さらにできれば何かを得つつ、無事に帰国する。
今はそれだけだ。
さらばエルネスト。
2泊したこのカサの人々とは思ったより交流がなかったな。
俺はメシも頼まず部屋にずっとひきこもってたから当然なんだけど。
ともかく、この街では爽やかな気分でもなかった俺を安全な場所でほっといてくれるのは助かったよ。
さあバスターミナルに行くか。
時間は充分にあるからまったく急ぐ必要もないのだが、
他に行くところもない俺はバスターミナルに向かうしかない。
2日ぶりに背負ったザックは重く、今や押すしかなくなった一輪車はただの距離測定器だ。
『ユニサイクルツーリスト』という肩書きを剥奪された自分がとてもカッコ悪く思える。
逆に考えれば俺は、一輪車で旅をするという奇妙な行為で『特別な自分』を演出していたんだな。
ただの観光客になった今、底上げしていた自尊心が元に戻って、背まで低く感じるよ。
はい、昨日も様子を見に来たヴィアスール社のバスターミナルに到着。
待合室はまだ誰もいなくてガラガラだ。
これなら余裕で乗れるかと思いきや、なんだかうまくいかない。
チケットが買えないのだ。
受付のオヤジは英語が全然ダメで、何を聞いても大丈夫大丈夫みたいなことしか言ってくれない。
今日乗れるのか乗れないのか、それが知りたいのに。
ここはウヤムヤにはできないところだ。
そこで、辞書を引きつつノートに聞きたいことを簡潔に箇条書きにし、紙で提出作戦を決行だ。
18時45分発のハバナ直行エクスプレス便には乗れるのか。
切符というものはあるのか。
金はいつどこで払うのか。
ここで待っていればいいのか。
しかしこのオヤジ、質問にひとつひとつ答えを書いてくれればいいものを、
何やらまたしつこくべらべらとしゃべってくるからたまらない。
そのスペイン語がサッパリわからんからわざわざ紙に箇条書きにしてるんだろうが!
それぐらいはさすがに察しろよ!
その辺のおっさんならともかく、仮にも高い金を取る高級バス会社の受付だろうが!
怒りをこらえ、冷静に紙に書いてくれと頼むと、さもダルそーに何か一文を書いた。
だが今度はその独特な書き方のアルファベットが非常に判読しづらく、
辞書で調べてすら意味がよくわからない。
失敗のため何かができない…というようなことが書いてあるみたいだが。
なんらかのトラブルで発券ができないということか…?
とにかく、金が払えないのだから今はダメなのだろう。
ヤル気のないオヤジの対応に苦悩する俺をみかねたのか、恰幅のいい警備の女性が、
「大丈夫よ。18時になるのを待ちなさい。」
そう言ってくれた。
発車時刻が近くなってようやく手続きが始まるということか?
わからないことだらけだが、今は彼女のコトバを信じるしかなさそうだ。
スペイン語力がなくても今までどうにかやってこられたが、今回ばかりは話せないのがつらい。
まぁ、たとえ今日乗れなくても明日にすればいいだけだ。
いくらでも待ってやるぜ。
バスの待合室に一人でポツーンと座っていると、掃除のおばさんが話しかけてくる。
「コーヒー飲む?」
そう聞いてくるので、ハイと答えると、
歯みがきに使うようなプラのコップにちょっとだけ入ったコーヒーを持ってきてくれた。
いい人だなあと思いニコヤカに礼を言うと、彼女は真顔でこう告げる。
「1、1。」
ああ、有料なのね。先に言えよ。
コーヒー1杯は屋台だと1ペソクワーノぐらいだ。
そこで、「ペソクワーノ?」と聞けば、「違う!」と。
それはもう、心外そうな顔で。
はぁ…。
コーヒーちょびっとで1CUCを要求かよ。
やるな婆さん。こいつも観光客相手にスレちゃったクチか…。
1CUC、つまり24ペソクワーノあれば、
地元民なら一食分食える額だってのを俺はよく知っているということを、彼女は知らない。
高級バスで移動する、CUCしか持ち歩かないような旅行者から散々稼いできたんだろうな。
持ってるヤツからふんだくって何が悪いって感じなのだろう。
そう、そのとおりだ。持ってるヤツは払えばいい。
でも俺は残念ながら、さほど裕福でもなくてね。
どうやって残りの日数をやりくりしようかと悩んでいるところなんだよ。
でも今回は、待合室の長時間使用料金として払っといてやる。
ふぅ。やれやれです。
どいつもこいつも信用できない。
最後まで嫌な思いをさせてくれるな、サンティアゴ・デ・クーバ。
旅は自分の力を試す場。そして自分を鍛える場。
一輪車で走り続ける旅が終わっても、俺のキューバ旅はまだまるで完結していないのだと知った。
ところで、まだ13時半か。先は長いな。
待合室は俺しかいないのにクーラーが効きまくって寒いぐらいなので、ついにフリースを着る。
この調子だときっとバスの中も冷えていることだろう。
これは虚弱体質な俺の持論だが、夏の南国でもフリース1枚ぐらいは絶対に持っておくべきである。
待つのも旅のうち。
暑いなかを一輪車で走ったり歩いたりしなくていいんだからラクなんだけど、
やはり人間は退屈が苦手なのだなとつくづく思う。
あと5時間もある。
どうやって過ごそうかなーと思っていたら、さっきも話しかけてくれた屈強そうな女警備員が、
「ピザでも食べる?」
と声をかけてきた。
彼女は昨日の偵察時にもトイレの有無に関して尋ねたちょっとした顔見知りで、結構いい人のようだ。
そんな彼女がさっきの掃除の因業婆さんのようにボッタくるとは考えたくないが、
もうそんな思いはしたくないのでやんわりと断って、外に出る。
ちょうど室内が寒くて散歩にでも出ようかと思っていたところだ。
ザックとユニは一応ベンチにロックしておいたが、もはやこれらは今となっては絶対必要なものでもない。
仮に盗まれてもなんとかなるよ。
さて外に出ると、なんといきなりうまそうな弁当を発見。
20ペソクワーノで、チャーハンみたいなご飯にチキンとイモ?とバナナ?とアボカド?みたいのが乗ってて、
これが相当にうまい。
売ってた兄ちゃんも気の良さそうな人で、今度はボラれることもなく。
ここに来てやっとサンティアゴで良い思いができた気分だ。
ありがとう!
しかし、こんなにうまくてボリュームがあって手の込んだメシより、
さっきの因業コーヒーのほうにより高い金額を払ってしまったのだから自分が情けなくなる。
この弁当なら値札に1CUCとあれば喜んで払ったものを。
弁当を持ってバスターミナルに帰り際、
ヴィアスールの隣にあるアストロという別のバス会社の待合所になんとなく寄ってみる。
アストロのバスはヴィアスールほどピカピカではないが、
それでもその辺を走っている人民満載バスほどボロボロというほどでもなく、まあ普通の長距離バスである。
で、そこで見つけた値段表。
え、サンティアゴからハバナまで、169!?
これはきっとペソクワーノで、CUCに換算すると7ぐらい。
俺が乗ろうとしているバスの料金は51CUCだから、実に7倍以上の価格差である。
ヴィアスールは、思っていた以上にリッチテイストなバスだったのだ!
つまり、ヴィアスールは金持ちもしくは外国人用。
アストロは基本的にキューバ人専用ということなのだろう。
これがキューバの実態、もしくは格差を表す一部なのか。
アストロの安さは正直うらやましいが、やたら細かく各地に停まるのでいつハバナに着くやらわからんし、
外国人が簡単に乗れるとも考えにくいので、今回はヴィアスールでいいけどね。
驚くべきは、それほどの高級バスなのに雑な扱いを受けまくっているということだが…。
思い起こせば、台湾の高速バスは設備も豪華で至れり尽くせりであった。
パプアニューギニアのバスは豪華でも快適でもなくむしろ危険なのだが、
それでも親切な人はいて、色々と世話になったものだ。
ヴィアスールの待合室に戻ってボンヤリしていると、
今なぜかおもむろに、預け荷物のザックと一輪車を回収されてしまった。
15時発の各停ではなく18時発のハバナ直行エクスプレス便に乗りたいんだと主張したけど、
ちゃんとわかってもらえたのだろうか?
大体まだチケットも売ってもらえない宙ぶらりんな状態なのに、いいのか荷物だけ先に回収しちゃって。
一応重さを計られ、そして放置される俺の荷物の図。
もうこの先どうなるのか予断を許さない状況である。
でもまーいいか。
話のサッパリ通じない受付のオヤジだけでなく、
俺の主張をこうやって屈強な女警備員や荷物係の兄ちゃんなど、いろんな人に伝えておけばおくだけ、
間違いは減るだろう、たぶん。そう思いたい。
ちなみに15時発のバスは、各主要都市に停まりつつ、翌朝7時過ぎにハバナ着。
一方で18時発の直行便は、途中で停まらず一気にハバナに到達して翌朝7時着。
つまり、後に出た直行便の方がむしろほんのちょっとだけ早く着く。
俺としては到着の時間よりも、
窮屈なバスのシートに縛り付けられている時間が3時間も短いならという理由で直行便を希望しているわけだ。
退屈なこの待合室生活でも、バスのシートよりはよほどマシである。
だがちゃんと乗れるかどうかわからない今となってはこの際15時の各停でもいいような気がしてきた。
しかしそれをあの話のわからんオヤジに伝えるのが正直めんどくさい。
ところでこの2つのバス、ほぼ同じ時刻に着くという意味が解せない。
何を思ってこんなスケジュールにしたのだろう。
互いの運転手をレーサー気分にさせないことを祈るばかりだ。
おっ、ハバナからのバスが到着して、人がゾロゾロ降りていく。
初めて活気づく待合室。
これはきっと折り返しで15時発になる便だろうな。
俺は関係ない。
…ハズだったのに、なんなんだ!!
バスに何人か乗っていくねー、俺は乗らないけど。さよならー!なんて思ってたら、
運転手とおぼしき制服のおっさんがやって来て、君は乗らないのかと聞いてくるのだ。
「乗らないよ。俺は18時発のエクスプレスに乗るんだ。」
そう言っても納得してくれない。
そしてなぜか例の受付のオヤジのところに連れて行かれると、そのオヤジがまたチャランポランで、
「それじゃあユー乗っちゃいなよ!」
みたいな感じなのだ。
なんだよオマエ!とにかく待てとかエラそうに言ってたのはなんだったんだよ!!
そして荷物係の兄ちゃんに至っては、
「え、君これに乗るの?あれ?次の直行便って言ってなかった?」
そんな様子であわてて俺の荷物をバスに積んでくれている。
そうだよな、それが正しい反応だよな。俺だってそう思うよ。
で、とにかく乗ってしまった。
金はなんと、運転手に直接払い。
なんで?みんな受付で普通に払ってなかったか?
もうわけがわからん。
まあいいや、とにかくハバナに帰れればなんでも!!
さらばだサンティアゴ・デ・クーバ。
賭けてもいいが、もう一生来ることはないだろう。
あれだけ長々と待っていたにも関わらず、いざ出る時にはドタバタもいいところだ。
しかしもう乗ってしまったのだから後は知らん。
これから半日かけてバス旅行。
夢も希望もあんまりない。とにかく早く着いてくれ。
寝とこう。できるだけ。