対馬旅 6月26日 その3
#旅の感触
旅はじわじわと進み。
天気がいいのはいいんだが。
いやーもうこのアルティメット、投げ捨てたくなる。
あれからしばらく、まるで乗る気にならん。
休憩時に荷物を下ろして乗ってみたらそこそこ乗れるのに、ザックを背負うと途端に重いのだ。
これは少々ストレスである。
だがストレスはそもそも、悪いものではない。次の行動のためのきっかけ、エネルギーであるハズだ。
自分を追い込んだその結果に期待するしかない。
まずはいつもどおり、人力旅向きの身体ができあがるのを気長に待つとしよう。
あ、そうだ。
ちょっと景色のいいこの辺で、修行家のお母さんに作っていただいた弁当を食べるとしよう。
俺がかすかに自慢できることといえば、
世界各地のお母さんたちから栄養状態を心配されて弁当を持たされてきたことであろう。
なんというかこう、食べ物を与えないと途中でパタッと倒れそうに見えるのかもしれない。
だが旅の途中に栄養失調で倒れたことはないなー、今のところは。
ともかく、これさえ食えば、燃費のいい俺ならあと24時間ぐらい活動できるハズだ。
つくづくありがたい!
大船越。
なんで大船越かと言えば、昔はこのあたりで船を上陸させ、
島の反対側まで人力で陸を移動させてから、再び船出した場所だからだそうだ。
昔といっても江戸時代とかじゃない。遣唐使のレベルである。
歴史の教科書の始めぐらいの人たちが、ここで船を担いで歩いてたのかと思うと唖然とするほかないな。
他には、日露戦争時にロシア軍艦がここを通った際、
地元の人が薪を投げて攻撃するも返り討ちにあって戦死してしまった話とか。
対馬の道沿いには地図のほかにも、こういった土地の逸話の類がよく書かれてあって興味深い。
だがクルマなら見逃すことも多いだろう。
トボトボ歩いているヒマ人の俺だからこそ、すべてを確実に読んでいくことができるというものだ。
あ、自転車でもいけるかな。
対馬の複雑な地理を超簡略化した地図。これが実にわかりやすい。
対馬の主要道を繋げると、ちょうど8の字になる。
中間には一本道の重複区間があって、今俺はそこにいるというわけだ。
そして、今朝フェリーが着いたのが右下の厳原。
目指している北の町が比田勝。
あとは、最南部に豆酘(つつ)という、これまた読みにくい大きめの町があるようだ。
この8の字と3つの町を基準にして動けば、とりあえず路頭に迷うことはないだろう。
ふー、ようやく来たぜ。
対馬を上島と下島に分ける分岐点、万関橋だ。
見てわかるとおり、これから北上する上島のほうが下島よりもはるかにデカい。
ついでに言っておくが、対馬は日本の島の中で10番目に大きい。
そこから上位の本州、北海道、九州、四国、北方領土をのぞけば、なんと4番目のデカさ。
沖縄本島より一回り小さいぐらいと思ってもらえばいい。
実は対馬がそこまで大きいとは思ってなかった。勘弁してほしい。
アルティメットで万関橋に突入!…のサービスカット。
ずっとこんな調子で乗れてればカッコイイんだが、まあ実際はほとんど歩いている。
ふっ。
橋の上から見た光景。こわっ。
火曜サスペンスなら開始5分で男が殺されて代わりの人形が投げ込まれているに違いないポイントである。
このぶんだとタイトルはおそらく『対馬殺人海峡・美人女医の秘められた殺意』とかそんなんだ。
そんなことはどうでもいいんだが、なんとこの水路、かつては陸だったのを、人力で開削したものらしい。
掘った張本人は、大日本帝国海軍。
1900年というから、そんな昔にまたどエラい工事をしたもんだ。
ちなみにその5年後に有名な日露戦争の日本海海戦が起こっている。
つまりこの水路、そのとき大活躍したってことだよなぁ。
そう思って改めて見ると凄いものだ。
脳内で火サスの人形を放り込んだりしている場合ではない。
ここは賀谷というところかな。
対馬はグーグルマップだとまだ島全体が粗くしかカバーされていないので、
小さな集落のこととなるとよくわからない。
だが俺には修行さん夫妻があらかじめ用意しておいてくれた地図兼観光パンフレットがある。
それを見れば、次の集落まで大体何キロぐらいというのがわかるので大変ありがたい。
ところで、この島では案の定、食料が買えるような商店はなかなか見つからないようだ。
そのへんはもうコンビニがないという時点で覚悟していること。
だが一方で、どんな集落でも自販機の1つぐらいはある模様。
これが人力旅行者には助かる。
重い水を背負わずに済むというだけで、潜在的にどれほどラクができていることか。
そろそろあたりが暗くなってきた。
賀谷を過ぎると、上島に入って最初の分岐点に出る。
グーグルマップで見てもいいんだが、
たぶんこっちのほうがわかりやすいので、また登場してもらおう。
左に行けばそのまま国道382号線。
右に行けば、主要地方道39号線というやつだ。
食料の補給や携帯の電波的にも国道から行くのがオススメとのことだったが、
俺はここでふと考える。
地方道のほうがクルマが少ないのではないか。
それはつまり、アルティメットの練習に向いているのではないか。
国道側のほうが見所も多そうなので、そっちは乗れるようになってから後回しのほうがおもしろいかも。
そんな理由で、まずは地方道を北上することに決めた。
分岐を右に折れるころ、完全に夜になる。
もう20時前ぐらいか。
夏至を過ぎて間もない今頃は、暗くなるのが遅いので移動しやすい。
それでも北海道なら、もうあと30分は明るいような気がする。
さらに北上してアイスランドなら、もうあと数時間は余裕で日中なのだ。
宇宙って壮大だよなぁ。
特に何も考えず、夜の海岸沿いを順調に黙々と歩いてきた。
思ったとおり、この道はクルマが少なく、また道が綺麗でここまでは歩道が完備されていたせいもある。
ただの暗い道のりに飽きてきた頃、21時を回ろうかというところで、
小さな漁港の町で居心地のよさそうなバス停をみつけた。
よし、今夜はここで寝させてもらおう。
歩き続けで汗をかいているが、6月の対馬の夜、気温はぐっと下がりそうな気配だ。
汗がひくのを待ち、ザックにある服を重ね着して、保温対策。
あとは寝るだけだ。
…歩き続けも疲れるもんだねー。
ちょっとした下りでアルティメットに乗ってみたら、
今度は太ももの空気椅子っぷりがひどくてもう笑うしかない。
でも、ちょっとずつ乗る気にもなってきたかな。
今ようやく、旅の感触ってやつを久々に感じてるよ。
旅はじわじわと進み。
天気がいいのはいいんだが。
いやーもうこのアルティメット、投げ捨てたくなる。
あれからしばらく、まるで乗る気にならん。
休憩時に荷物を下ろして乗ってみたらそこそこ乗れるのに、ザックを背負うと途端に重いのだ。
これは少々ストレスである。
だがストレスはそもそも、悪いものではない。次の行動のためのきっかけ、エネルギーであるハズだ。
自分を追い込んだその結果に期待するしかない。
まずはいつもどおり、人力旅向きの身体ができあがるのを気長に待つとしよう。
あ、そうだ。
ちょっと景色のいいこの辺で、修行家のお母さんに作っていただいた弁当を食べるとしよう。
俺がかすかに自慢できることといえば、
世界各地のお母さんたちから栄養状態を心配されて弁当を持たされてきたことであろう。
なんというかこう、食べ物を与えないと途中でパタッと倒れそうに見えるのかもしれない。
だが旅の途中に栄養失調で倒れたことはないなー、今のところは。
ともかく、これさえ食えば、燃費のいい俺ならあと24時間ぐらい活動できるハズだ。
つくづくありがたい!
大船越。
なんで大船越かと言えば、昔はこのあたりで船を上陸させ、
島の反対側まで人力で陸を移動させてから、再び船出した場所だからだそうだ。
昔といっても江戸時代とかじゃない。遣唐使のレベルである。
歴史の教科書の始めぐらいの人たちが、ここで船を担いで歩いてたのかと思うと唖然とするほかないな。
他には、日露戦争時にロシア軍艦がここを通った際、
地元の人が薪を投げて攻撃するも返り討ちにあって戦死してしまった話とか。
対馬の道沿いには地図のほかにも、こういった土地の逸話の類がよく書かれてあって興味深い。
だがクルマなら見逃すことも多いだろう。
トボトボ歩いているヒマ人の俺だからこそ、すべてを確実に読んでいくことができるというものだ。
あ、自転車でもいけるかな。
対馬の複雑な地理を超簡略化した地図。これが実にわかりやすい。
対馬の主要道を繋げると、ちょうど8の字になる。
中間には一本道の重複区間があって、今俺はそこにいるというわけだ。
そして、今朝フェリーが着いたのが右下の厳原。
目指している北の町が比田勝。
あとは、最南部に豆酘(つつ)という、これまた読みにくい大きめの町があるようだ。
この8の字と3つの町を基準にして動けば、とりあえず路頭に迷うことはないだろう。
ふー、ようやく来たぜ。
対馬を上島と下島に分ける分岐点、万関橋だ。
見てわかるとおり、これから北上する上島のほうが下島よりもはるかにデカい。
ついでに言っておくが、対馬は日本の島の中で10番目に大きい。
そこから上位の本州、北海道、九州、四国、北方領土をのぞけば、なんと4番目のデカさ。
沖縄本島より一回り小さいぐらいと思ってもらえばいい。
実は対馬がそこまで大きいとは思ってなかった。勘弁してほしい。
アルティメットで万関橋に突入!…のサービスカット。
ずっとこんな調子で乗れてればカッコイイんだが、まあ実際はほとんど歩いている。
ふっ。
橋の上から見た光景。こわっ。
火曜サスペンスなら開始5分で男が殺されて代わりの人形が投げ込まれているに違いないポイントである。
このぶんだとタイトルはおそらく『対馬殺人海峡・美人女医の秘められた殺意』とかそんなんだ。
そんなことはどうでもいいんだが、なんとこの水路、かつては陸だったのを、人力で開削したものらしい。
掘った張本人は、大日本帝国海軍。
1900年というから、そんな昔にまたどエラい工事をしたもんだ。
ちなみにその5年後に有名な日露戦争の日本海海戦が起こっている。
つまりこの水路、そのとき大活躍したってことだよなぁ。
そう思って改めて見ると凄いものだ。
脳内で火サスの人形を放り込んだりしている場合ではない。
ここは賀谷というところかな。
対馬はグーグルマップだとまだ島全体が粗くしかカバーされていないので、
小さな集落のこととなるとよくわからない。
だが俺には修行さん夫妻があらかじめ用意しておいてくれた地図兼観光パンフレットがある。
それを見れば、次の集落まで大体何キロぐらいというのがわかるので大変ありがたい。
ところで、この島では案の定、食料が買えるような商店はなかなか見つからないようだ。
そのへんはもうコンビニがないという時点で覚悟していること。
だが一方で、どんな集落でも自販機の1つぐらいはある模様。
これが人力旅行者には助かる。
重い水を背負わずに済むというだけで、潜在的にどれほどラクができていることか。
そろそろあたりが暗くなってきた。
賀谷を過ぎると、上島に入って最初の分岐点に出る。
グーグルマップで見てもいいんだが、
たぶんこっちのほうがわかりやすいので、また登場してもらおう。
左に行けばそのまま国道382号線。
右に行けば、主要地方道39号線というやつだ。
食料の補給や携帯の電波的にも国道から行くのがオススメとのことだったが、
俺はここでふと考える。
地方道のほうがクルマが少ないのではないか。
それはつまり、アルティメットの練習に向いているのではないか。
国道側のほうが見所も多そうなので、そっちは乗れるようになってから後回しのほうがおもしろいかも。
そんな理由で、まずは地方道を北上することに決めた。
分岐を右に折れるころ、完全に夜になる。
もう20時前ぐらいか。
夏至を過ぎて間もない今頃は、暗くなるのが遅いので移動しやすい。
それでも北海道なら、もうあと30分は明るいような気がする。
さらに北上してアイスランドなら、もうあと数時間は余裕で日中なのだ。
宇宙って壮大だよなぁ。
特に何も考えず、夜の海岸沿いを順調に黙々と歩いてきた。
思ったとおり、この道はクルマが少なく、また道が綺麗でここまでは歩道が完備されていたせいもある。
ただの暗い道のりに飽きてきた頃、21時を回ろうかというところで、
小さな漁港の町で居心地のよさそうなバス停をみつけた。
よし、今夜はここで寝させてもらおう。
歩き続けで汗をかいているが、6月の対馬の夜、気温はぐっと下がりそうな気配だ。
汗がひくのを待ち、ザックにある服を重ね着して、保温対策。
あとは寝るだけだ。
…歩き続けも疲れるもんだねー。
ちょっとした下りでアルティメットに乗ってみたら、
今度は太ももの空気椅子っぷりがひどくてもう笑うしかない。
でも、ちょっとずつ乗る気にもなってきたかな。
今ようやく、旅の感触ってやつを久々に感じてるよ。