対馬旅 7月1日 山にひとり
#はせまわる
野宿に慣れているとはいえ、やはりイマイチな寝床ではイマイチな眠りしか得られない。
疲れの取れ方も中途半端でスッキリしないが、それでも5時前にはちゃんと目が覚める。
気を抜かずに寝る、ということができるのは、よく考えたら器用な能力だよな。人類すごい。
今日はおそらく大変な道のりだ。
大きな山を越える。
それだけが今日の目標となるだろう。
阿連(あれ)から南はもうグンネグネ。
しかもその先に、下島を一周しているハズの地方道24号線が途切れる区間がある。しかも長々と。
ここはおそらく、峠ではなく山越えなのだと思う。
この区間こそが下島一周ルートでの最大の懸念。
そこにたぶん今日、突入する。
しかもその先に、下島を一周しているハズの地方道24号線が途切れる区間がある。しかも長々と。
ここはおそらく、峠ではなく山越えなのだと思う。
この区間こそが下島一周ルートでの最大の懸念。
そこにたぶん今日、突入する。
早朝でクルマが来ないからといって、こういう遊びをしてはいけません。
ちなみに、ここ阿連の町。
小さな集落なのだが、ここはなんと西暦805年、遣唐使で唐に渡っていた最澄が帰着した場所なのだ。
じゃあ一緒に唐に渡っていたハズの空海はといえば、別の時期に別ルートで帰ったそうな。
いずれにせよ当時の遣唐使節というのは命がけで、
行きは4隻の船で行って最澄が乗っていた船以外はみんな遭難し、
遭難組だった空海は、遭難先で綺麗な文章を書いて認められ、とにかく気合いで唐まで行ったらしい。
これはもう現代人が考える冒険なんてレベルじゃない。
この海の向こうに、世界で最も繁栄している国がある。
そう思えば、空海や最澄でなくとも、命を賭けてでも行ってみたくなるよな。
9世紀と言えば大昔だ。だが古くない。
なぜなら彼らは、最先端の文化を学ぶために行ったのだから。
まだ本番の山越えじゃないのに、すでにウゲーッと言いたくなるようなこの光景。
俺が今いる下島の西側は、対馬全体の中でもひときわ凹凸が激しいところのようだ。
そりゃこの辺が他に比べて発展していないのもわかる。
単純に、人が住みにくいのだろう。
そういえば、一輪車の日本縦断で沖縄本島を一周した時にも、
島の西側と東側で発展度がまるで違ったのだ。
その違いが地形と密接に関連していることを身体で感じてきたのだが、対馬はそれと似ている。
次の集落までは、こんな山道を約10キロ。
実は昨夜のうちにもうひと集落進んでおこうと一瞬思って、思いとどまったのだ。
いやよかった。やめといて本当ーーーによかったよ。
長い上り坂の途中でいきなり疲れて、広い路肩で1時間以上昼寝ならぬ朝寝をキメる俺であった。
ありゃ、クワガタ。
大きいから一瞬オオクワガタかと思ったが、よく見るとたぶんヒラタクワガタ。
鳥にでもつつかれたのか。もはや瀕死である。
彼は今、何を想っているのだろう。
さらばだ。
本日最初の難所をクリアし、小茂田(こもだ)の集落まで下りてきた。
うあー、効いたわー。
入口付近にあるスクールバスの小屋にお邪魔して、また寝る。
睡眠不足もあるが、とにかく足の裏を定期的に休ませる必要があるのだ。
寝ている間に雨が降っていたらしい。
いいタイミングだ。助かったな。
ところでこれ、バス停の目の前にある中学校。やたらとリッパな建物である。
だが、こんなところにこんなに子どもがいるのか!?
で、よく見ると、2階の1室と職員室にしか電気がついていないのだ。
あー…。
こういう学校で3年過ごすってのはどんな感じなんだろうな。
とりあえず、グレにくいとは思う。
小茂田の集落を歩いていたら、ふたたび雨。
うわっ、聞いてないよ!
あわてて役場の狭い軒を借りて雨宿りの図。
対馬でこれぐらい強く降られるのは、初日に港に着いた時以来だ。
でも今は梅雨。本当ならもっと容赦なく降られていてもおかしくない。
だからたまに降られるぐらいで文句を言ってはいけない。
いけないんだが…なにもこれから山越えってところで…なぁ?
雨はしばらく待っても止みそうにない。
しょうがない。観念して折りたたみ傘を出し、さらにカッパを着込む。
きっと暑いだろうがズブ濡れよりはマシだ。
#石の重さ
さて、小茂田の町を出てすぐ南には、椎根(しいね)という集落がある。
実はここ、日本では唯一という珍しいモノが存在する。
これだ。
なんだかわかるかな?
そう、石屋根。
文字通り、石で屋根を葺いているのだ。
これは日本ではここだけに残る建築様式だそうな。
ふと見れば、別の場所にもフツーに石屋根が。
この石屋根、なぜか住居には使われず、倉庫の屋根専用なんだとか。
なぜだろう。
重すぎて時々潰れるからだったら怖いな。
この集落の何が素晴らしいって、貴重な建築物に当然のごとくタマネギを干してるところだよな。
ところで、石の屋根が建材として優秀ならば日本中に普及していたハズだ。
しかしこの文化は日本では対馬にしか残らなかった。なぜか。
それはひとつには、対馬独特の身分制度に由来しているらしい。
かつての対馬の社会には厳格な階級というものがあり、
その階級が一定以下の人々は屋根に瓦を使うことが許されなかった。
よって代わりに石で屋根を葺く方法を導入した、のだそうだ。
へー、今では観光の目玉になっている椎根の石屋根も、そういう複雑な事情からきたものだったのか。
とはいえ、身分制度はかつての日本に普遍的にあり、建築制限もまた対馬に限った話ではない。
江戸時代の建築なんか、現代人でも驚くぐらい身分による細かい取り決めがあったらしいからな。
そのなかで、対馬の石屋根は石だけに、かつての風習を色濃く現代に残しているということだろうか。
しかしこれ、どういう法則で積まれてるんだろう。
よく見ると木の土台がベースになっているようでもある。
石の屋根って珍しいなぁーと思うことから、
逆に瓦というのは革命的なほどに凄い発明品だったんだな、ということに思い至るよ。
古来より、屋根を葺く材料は、板葺き、茅葺き、石、瓦、鉄、コンクリート。そして今は新建材も。
建築に大して興味がない俺でさえ、こんなものを間近に見ると様々な思いがめぐる。
椎根の石屋根をあれこれと見物しているうちに、さっきまでの強い雨がパッタリと止む。
え、さっきすぐには止みそうもない…とか考えた俺の読みは一体なんだったの!?
止んだのは嬉しいけど、せっかく着込んだカッパとザックの奥底から引っ張り出した傘をどうしてくれるんだ。
すぐに脱ぐのも惜しいので、とりあえずこうして写真を撮ってから仕舞うのであった。
やっぱ暑いわ、初夏のカッパ歩きは。