対馬旅 7月2日 初めての帰還

#突き抜け豆酘

鉄製の屋根をバラバラと雨が打つ音を聞いた気がした。

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地面が濡れている。やはり夜中に雨が降ったようだ。
こういう時は屋根付きバス停のありがたみが身に染みるな。

深夜、なぜか足が痒くて目が覚めたので、歩き出して初めて、おそるおそる靴下を脱いでみた。
が、意外となんともなっていない。安心した。
もっと血マメや水ぶくれのようなものがたくさんできているかと思ったのに、全体的に腫れぼったいという程度。
先日も書いた20代の頃の徒歩旅では、皮がこすれて水ぶくれ状の袋ができ、それは痛かったものだ。
普通の靴と地下足袋の違いだろうか。それとも俺の歩き方の変化か。

ペラペラの地下足袋で鍛えられた足の裏は、少し硬く、厚くなってきているようだ。
それでもあの、常に裸足で生活していたパプアニューギニア人の鋼鉄のような硬さには遠く及ばない。
あのレベルまで硬くするには俺もやはり炎天下の山道やアスファルトを裸足で歩くしかないのか。
今の時代にそこまでしてどれほど意味があるのかは謎だが。
 
 
瀬の集落から次の集落、対馬最南部で最大の町である豆酘(つつ)までは、少し長い峠を一本。
早朝から出発する俺としては余裕の距離だ。
このすぐ先に大きめの町があるかと思うと楽しみだな。

おっ、バス停近くの自販機にて、カロリーメイトブロックとカロリーメイトドリンク(コーヒー味)を発見。
ブロックはたまに見かけるがドリンクとは珍しい。すかさず両方買ってゴージャスに栄養補給だぜ。
…あっ。
カロリーメイトドリンク(コーヒー味)、マズッ!!

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だんだんゴールが見えてくると疲れも感じにくくなるのか。
休憩2回ぐらいでそろそろ豆酘だ。

もう充分わかってくれていると思うが、対馬には難読地名がとても多い。
住民以外でこの標識を見て『いづはらまちつつ』と読める人は、
よほどの対馬好きか難読地名マニアに違いない。

これは何かで読んだウロ覚え情報なのだが。
かつて、対馬の言語構造を調べに来た学者がいた。
対馬の言葉の中に大陸の言語の影響がどれぐらい入っているかを調べ、
そこから日本語が成立していく歴史を読み解こうとしたのだが、その結果。
意外なことに、言語学的には、
対馬の言葉には借用語(借りてきた単語)をのぞいて大陸からの影響はみられなかったそうだ。
それはつまり、対馬は古来よりかなり強固に日本の一部だったということである。

そこから勝手に想像すると、この対馬の難読地名たちは実は、
日本語の古い形態を今に残したものなのかもしれない。
そう考えると地名ってのはなかなか貴重だよなー。
豆酘は知らなければ何があっても絶対にツツって読めないけどなー。
 
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長い坂を下って、豆酘に到着。
ありゃ、広い町だと思っていたのに、道が狭い。これだとバスの交差なんかは難しいだろう。
そのうちメインストリートに出るハズ…と思っていたら、
最後までこれがメインストリートなところがまたシブい。

町を歩いている途中、道ゆくお婆さんと、家から顔を出したおばさんとの朝の会話が聞こえてきた。
聞こえてきたが、その内容がほとんど理解できないことに衝撃を受ける。
一瞬韓国語かと思ったぐらいだ。
よくよく聞いて、どうやら天気の話をしているらしい、と予想。これぐらいが限界である。

こんなことは1週間も対馬を歩いてきて初めてだ。
地元民同士の会話が理解できないというのは日本の地方では今でもよくあることだが、
今回のはなぜだかかなり驚いた。
それはたぶん、対馬の人の喋り方は九州北部の方言をベースにしているように感じていたのに、
さっきのあれはちょっとまあ、だいぶ違う印象だったからだと思う。
もしかして、あれが本気の対馬弁ってヤツなのだろうか?
 
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豆酘にある大きな歴史的旧家。

大きなと言いつつ、実は中に入れないので全体像がよくわからない。
なぜ入れないのかと言うと、普通に人が住んでいるからだ。
築百数十年の貴重な邸宅に今でも住んでいるというところが何より素晴らしい。
家も道具も乗り物も、当初の目的に合わせて使い倒すのが一番だと俺は考える。
 
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バス停で魚肉ソーセージを食いつつ休んでいたら、俺の地下足袋に向かって歩いてくるムカデ。

対馬には多種多様な生物が棲息しているが、ムカデがまた多いのよ。
これまでに5匹ぐらいは見た気がする。
対馬のムカデは元気がいいわデカいわ脚は多いわでもう大変である。

こんな虫界の食物連鎖で上位に立つような生物がたくさん暮らしていけるのも、
対馬の自然が豊かなおかげなのだろう。
でも、俺は刺すなよ。