対馬旅 7月2日 その2
#ここで渇くか
これからは、対馬の最南端エリアをグルッと回って厳原に帰るルートだ。
なんとなく豆酘を過ぎればあとはあっさりというイメージを持っていたが、
よく見るとこの先、結構グネグネしてるな。
この感じだと今日中に厳原まで帰り着くのはちょっと難しいかもしれない。
豆酘を出てしばらくした頃、前からやって来た軽トラの男性に声をかけられる。
ガスボンベをたくさん積んでいるのでガス屋さんだろう。
クルマの窓から顔を出した彼は言う。
「この先、なんもないよ?」
え、ひょっとして俺、道を間違ったか?
「この道をずっと進めば厳原ですよね?」
「ああ、そうだけど………。そうそう、オッケー!!」
彼はそう言い残して走り去っていくのであった。
なんだったんだあれは。
一瞬何か言いたそーな感じだったよなぁ。
ま、いっか。
道のりはこれまでどおり、曲がりくねった峠ざんまいである。
しかも意外と標高差があって疲れる。
ほら、さっきまでいた豆酘の町があんなに小さい。
それはいいんだが、ちょっと気になることがある。
豆酘を出て以降、いくら歩いても集落にたどり着かないのだ。
そして集落がなければ、水を買えないのだ。
これまでの対馬の道なら、10キロも歩けば次の集落があって、自販機で水も買えた。
だが地図によると、このあたりだけは事情が違うようだ。
集落に行くためには、わざわざ地方道から外れて海まで下りる必要がありそうなのだ。
それってつまり、いちいち寄り道しないと飲み物も買えないということか。
さっきのガス屋さんが言いたかったことが、なんだかだんだんわかってきたぞ。
浅藻隧道、と書いてある。
地図にもそう書いてあった。
大体、トンネルではなく隧道と書いてある時点で、
こんな風に古くて狭くて危険な穴であることは容易に想像できる。
ちなみに浅藻(あざも)というのは豆酘の次の集落なのだが、前述の理由により、道路上には町がない。
そして無慈悲なことに自販機もない。
ヤバい、そろそろノドが渇いてきた。
道を外れて海まで下りれば集落があるのはわかっているが、その往復が大変そうでイヤなのだ。
渇きと寄り道のどちらを取るか。
そこで悩む。悩みつつも歩く。
おそるべきことに、浅藻の次にある集落は、与良内院(よらないいん)と言うらしい。
そうだ、ここにも寄らないのだ。
そこからさらに海沿いの峠を越えてゆく。
足も痛いのだが、今はノドの渇きのほうが緊急事態だ。
人間、水がなくては生きていけない。
水がなくなると気づいた時の焦燥感、これは相当なものがある。
アイスランドやキューバでは何度かそんな思いをして、水が何よりも大切だと痛感したハズなのだ。
だが、人は忘れる。
今この日本の島の、クルマならなんてことはない区間において、俺はそのことをビビッと思い出した。
そんな時。
あいかわらず何もないこの道のりの途上で、おもむろに人間が出現した。
…こんなところを、お爺さんが歩いている。
しかもごく普通の格好で。
これまで対馬の峠や山間の道をもう何度も越えてきたが、
その途中でフツーの格好をした歩行者に出会ったのはこれが初めてである。
自分を差し置いてなんだが、ものすごい違和感だ。
この人、ここで一体何をしているんだろう。もしかして仙人か。
とにかく、まずは挨拶をして、話を聞いてみよう。
「こんにちは!この先に、町や自販機ってありますか?」
「うーん、ないねぇ。ずっと長い坂があるだけだよ。」
「そ、そうですか…。それじゃあ飲み物を買うためには集落に下りるしかないですね。」
「自販機ならこの道を下りていけばすぐにあるよ。」
「この道から久和(くわ)の集落というのに下りていけばいいんですね。ありがとうございます!」
どうやらこのお爺さんも久和からやって来たらしい。
じゃあただの散歩か。あービックリした、徘徊老人だったらどうしようかと。
とにかく貴重な情報だ!
この先に何もないなら、ここで手に入れておくしかない。
重い荷物と不審な車輪・アルティメットホイールを地方道の隅っこに置き去りにし、
身軽な状態で集落への坂道を下りる。
彼はすぐそこだと言っていたが、うおお、結構長いんじゃないの…?
よっしゃ、久和まで下りてきた!
そして視線の先には自販機が!!
ダッシュで駆け寄り、手当たり次第に3本買う。
1本はその場で飲み、あとは携帯用だ。
うまい。
やはり水はうまい。最高だ。
助かった…。
それからの峠道はもう、さっきとは別人のように余裕だ。
のんびり休憩もできるし、景色だってよく目に入る。
フッ。
足が痛いだけなんてしょせんどうってことないよな。
水と時間と魚肉ソーセージさえあれば、俺はどんな峠も越えてみせる!!
おおっと?ここにきてなぜか霧が出てきた。
霧なんて対馬では初めてだな。
だいぶ慣れてきた対馬の峠道も、霧に包まれると様子が一変する。
何か変わった動物にでも出くわしそうな妖しいムードだ。
あ、変わった動物といえば。こんな話を思い出した。
江戸時代以前の対馬は、作物を荒らすイノシシの被害に大変悩まされていたそうだ。
だが将軍綱吉の頃、対馬に現れたエライ人が、これまたスゴイことを考えた。
それはなんと、イノシシの撲滅。
対馬の北端から始めて南端まで、9年間で8万頭を狩り尽くし、ついにイノシシを全滅させたという。
気の遠くなるような話だな。
イノシシには可哀想な話だが、おかげで畑作物が荒されることはなくなり、住民は大変喜んだとか。
で。
ここ最近になって、なぜか対馬にイノシシが出るらしい。
ヨソから持ち込まれたのか、それとも山奥にごくわずかに生き残っていたのだろうか。
なかなか興味深い話である。
このへんの話もいずれ詳しい人に聞いてみたい。
そうだ、これを題材にしてジブリあたりが映画を作ったりしないだろうか。
主人公は対馬の子どもと生き残りのイノシシで、なんか知らんけど可愛い女の子も出てくる。
そんな設定で大体なんとかなるに違いない。
道沿いに町もない、クルマすらほとんど通らない対馬最南端部のラストはここ。
豆酘から来たのに左が豆酘とはどういうことか。
実は、近年になって豆酘と厳原を繋ぐキレイな道ができたのだ。
だから俺が通って来たあのグネグネ峠道は、今では道沿いに住む人ぐらいしか利用しないというわけ。
なるほどなぁ。
道ってすごいよな。人の行き来を根本的に変えてしまう。
道があるから人は自然にそこを通るのだ。そしてより良い道があれば自然とそちらに流れていく。
良い道は人や物を速く効率的に動かすからだ。
道は多くを変える。
歴史も、記憶も、おそらく思い出も。
広い道と合流したことで、クルマの流れがグッと増えた。
しかしここはまだ長い峠の途中。
霧が深いこの状況ではクルマも大変だろう。すれ違いができない区間も多いしな。
が、しかし!
こんな環境、こんな場所で、まさかの職質2回目!!
前から来たパトカーが狭ーい道でおもむろに路肩に寄せ、下りて来たのである。
職質なんていつでも受けてやるが、なにもこんな状況でやることもなかろうに。
まぁそれだけ日本の警察官が職務に忠実ということだな。
彼らも以前のケースと同様、かつて俺を鶏知のあたりで見かけたことがあるらしい。
それでまた職質ということは、前のパトカーとは管轄が違うのだろうか。
職質内容は前回とほぼ同じであったが、この状況ではさすがに乗ってみてくれとは言われなかった。
クルマで細い峠道を霧のなか走ってきて、目前にいきなりパトカーが停車してたんじゃあ、
通り過ぎた何台かのドライバーはさぞやびっくりしたことだろう。
だが、職質から解放されたすぐあと、
背後から来たクルマのおばさまが、
「大丈夫?乗っていきます?」
と声をかけてくれるのである。
うおっ、この霧、狭い道でよく停車できるものだ。
でも気持ちは大変に嬉しい!どうもありがとう!!
思ったほど広くなかった豆酘の町は、バス停で休んだぐらいですぐに出てきた。
商店もいくつかあったけど食料はそれなりに持ってるしな。
眼前に広がるのは豆酘湾。
このあたりは潮流が速くて岩礁も多い荒海で、昔から船乗りたちの腕の見せ所であった。
…とパンフレットに書いてある。
商店もいくつかあったけど食料はそれなりに持ってるしな。
眼前に広がるのは豆酘湾。
このあたりは潮流が速くて岩礁も多い荒海で、昔から船乗りたちの腕の見せ所であった。
…とパンフレットに書いてある。
これからは、対馬の最南端エリアをグルッと回って厳原に帰るルートだ。
なんとなく豆酘を過ぎればあとはあっさりというイメージを持っていたが、
よく見るとこの先、結構グネグネしてるな。
この感じだと今日中に厳原まで帰り着くのはちょっと難しいかもしれない。
豆酘を出てしばらくした頃、前からやって来た軽トラの男性に声をかけられる。
ガスボンベをたくさん積んでいるのでガス屋さんだろう。
クルマの窓から顔を出した彼は言う。
「この先、なんもないよ?」
え、ひょっとして俺、道を間違ったか?
「この道をずっと進めば厳原ですよね?」
「ああ、そうだけど………。そうそう、オッケー!!」
彼はそう言い残して走り去っていくのであった。
なんだったんだあれは。
一瞬何か言いたそーな感じだったよなぁ。
ま、いっか。
道のりはこれまでどおり、曲がりくねった峠ざんまいである。
しかも意外と標高差があって疲れる。
ほら、さっきまでいた豆酘の町があんなに小さい。
それはいいんだが、ちょっと気になることがある。
豆酘を出て以降、いくら歩いても集落にたどり着かないのだ。
そして集落がなければ、水を買えないのだ。
これまでの対馬の道なら、10キロも歩けば次の集落があって、自販機で水も買えた。
だが地図によると、このあたりだけは事情が違うようだ。
集落に行くためには、わざわざ地方道から外れて海まで下りる必要がありそうなのだ。
それってつまり、いちいち寄り道しないと飲み物も買えないということか。
さっきのガス屋さんが言いたかったことが、なんだかだんだんわかってきたぞ。
浅藻隧道、と書いてある。
地図にもそう書いてあった。
大体、トンネルではなく隧道と書いてある時点で、
こんな風に古くて狭くて危険な穴であることは容易に想像できる。
ちなみに浅藻(あざも)というのは豆酘の次の集落なのだが、前述の理由により、道路上には町がない。
そして無慈悲なことに自販機もない。
ヤバい、そろそろノドが渇いてきた。
道を外れて海まで下りれば集落があるのはわかっているが、その往復が大変そうでイヤなのだ。
渇きと寄り道のどちらを取るか。
そこで悩む。悩みつつも歩く。
おそるべきことに、浅藻の次にある集落は、与良内院(よらないいん)と言うらしい。
そうだ、ここにも寄らないのだ。
そこからさらに海沿いの峠を越えてゆく。
足も痛いのだが、今はノドの渇きのほうが緊急事態だ。
人間、水がなくては生きていけない。
水がなくなると気づいた時の焦燥感、これは相当なものがある。
アイスランドやキューバでは何度かそんな思いをして、水が何よりも大切だと痛感したハズなのだ。
だが、人は忘れる。
今この日本の島の、クルマならなんてことはない区間において、俺はそのことをビビッと思い出した。
そんな時。
あいかわらず何もないこの道のりの途上で、おもむろに人間が出現した。
…こんなところを、お爺さんが歩いている。
しかもごく普通の格好で。
これまで対馬の峠や山間の道をもう何度も越えてきたが、
その途中でフツーの格好をした歩行者に出会ったのはこれが初めてである。
自分を差し置いてなんだが、ものすごい違和感だ。
この人、ここで一体何をしているんだろう。もしかして仙人か。
とにかく、まずは挨拶をして、話を聞いてみよう。
「こんにちは!この先に、町や自販機ってありますか?」
「うーん、ないねぇ。ずっと長い坂があるだけだよ。」
「そ、そうですか…。それじゃあ飲み物を買うためには集落に下りるしかないですね。」
「自販機ならこの道を下りていけばすぐにあるよ。」
「この道から久和(くわ)の集落というのに下りていけばいいんですね。ありがとうございます!」
どうやらこのお爺さんも久和からやって来たらしい。
じゃあただの散歩か。あービックリした、徘徊老人だったらどうしようかと。
とにかく貴重な情報だ!
この先に何もないなら、ここで手に入れておくしかない。
重い荷物と不審な車輪・アルティメットホイールを地方道の隅っこに置き去りにし、
身軽な状態で集落への坂道を下りる。
彼はすぐそこだと言っていたが、うおお、結構長いんじゃないの…?
よっしゃ、久和まで下りてきた!
そして視線の先には自販機が!!
ダッシュで駆け寄り、手当たり次第に3本買う。
1本はその場で飲み、あとは携帯用だ。
うまい。
やはり水はうまい。最高だ。
助かった…。
それからの峠道はもう、さっきとは別人のように余裕だ。
のんびり休憩もできるし、景色だってよく目に入る。
フッ。
足が痛いだけなんてしょせんどうってことないよな。
水と時間と魚肉ソーセージさえあれば、俺はどんな峠も越えてみせる!!
おおっと?ここにきてなぜか霧が出てきた。
霧なんて対馬では初めてだな。
だいぶ慣れてきた対馬の峠道も、霧に包まれると様子が一変する。
何か変わった動物にでも出くわしそうな妖しいムードだ。
あ、変わった動物といえば。こんな話を思い出した。
江戸時代以前の対馬は、作物を荒らすイノシシの被害に大変悩まされていたそうだ。
だが将軍綱吉の頃、対馬に現れたエライ人が、これまたスゴイことを考えた。
それはなんと、イノシシの撲滅。
対馬の北端から始めて南端まで、9年間で8万頭を狩り尽くし、ついにイノシシを全滅させたという。
気の遠くなるような話だな。
イノシシには可哀想な話だが、おかげで畑作物が荒されることはなくなり、住民は大変喜んだとか。
で。
ここ最近になって、なぜか対馬にイノシシが出るらしい。
ヨソから持ち込まれたのか、それとも山奥にごくわずかに生き残っていたのだろうか。
なかなか興味深い話である。
このへんの話もいずれ詳しい人に聞いてみたい。
そうだ、これを題材にしてジブリあたりが映画を作ったりしないだろうか。
主人公は対馬の子どもと生き残りのイノシシで、なんか知らんけど可愛い女の子も出てくる。
そんな設定で大体なんとかなるに違いない。
道沿いに町もない、クルマすらほとんど通らない対馬最南端部のラストはここ。
豆酘から来たのに左が豆酘とはどういうことか。
実は、近年になって豆酘と厳原を繋ぐキレイな道ができたのだ。
だから俺が通って来たあのグネグネ峠道は、今では道沿いに住む人ぐらいしか利用しないというわけ。
なるほどなぁ。
道ってすごいよな。人の行き来を根本的に変えてしまう。
道があるから人は自然にそこを通るのだ。そしてより良い道があれば自然とそちらに流れていく。
良い道は人や物を速く効率的に動かすからだ。
道は多くを変える。
歴史も、記憶も、おそらく思い出も。
広い道と合流したことで、クルマの流れがグッと増えた。
しかしここはまだ長い峠の途中。
霧が深いこの状況ではクルマも大変だろう。すれ違いができない区間も多いしな。
が、しかし!
こんな環境、こんな場所で、まさかの職質2回目!!
前から来たパトカーが狭ーい道でおもむろに路肩に寄せ、下りて来たのである。
職質なんていつでも受けてやるが、なにもこんな状況でやることもなかろうに。
まぁそれだけ日本の警察官が職務に忠実ということだな。
彼らも以前のケースと同様、かつて俺を鶏知のあたりで見かけたことがあるらしい。
それでまた職質ということは、前のパトカーとは管轄が違うのだろうか。
職質内容は前回とほぼ同じであったが、この状況ではさすがに乗ってみてくれとは言われなかった。
クルマで細い峠道を霧のなか走ってきて、目前にいきなりパトカーが停車してたんじゃあ、
通り過ぎた何台かのドライバーはさぞやびっくりしたことだろう。
だが、職質から解放されたすぐあと、
背後から来たクルマのおばさまが、
「大丈夫?乗っていきます?」
と声をかけてくれるのである。
うおっ、この霧、狭い道でよく停車できるものだ。
でも気持ちは大変に嬉しい!どうもありがとう!!