5月12日 リンパ節の夜

 
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昨夜もリビングのソファで寝ることになってしまった。
パーカーはまた外で寝た。
雨が降ってもおかしくない、涼しすぎるぐらいの気候だったが、
いい寝袋を持っているから大丈夫だと彼は言い張った。
でも自分の家で寝袋で寝ること自体が大丈夫じゃないよな。
また悪いことをした。
 
この家で2泊目の朝。
旅を始めて1ヶ月ほど、キツキツと蓄積し続けた疲労もだいぶ抜けつつある。
しかし今日こそが本番の雨の予報なので、出発は明日にするつもりだ。
ここはなぜか居心地がいいし、パーカーやネイもごく自然にそうしろと言ってくれる。
たまたま出会った彼らではあるが、互いに気に入ったからこそ共にいられるのだろう。
ラッキーではあるが偶然ではない。そういうことだ。
人当たりも良くない自分にしては珍しいことだと思う。
 
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どうしてもコーヒーが飲みたくなったので、近くのセブンイレブンに行って買ってくる。
 
本当はインスタントコーヒーが欲しかったのだが、アメリカのコンビニにはそんな器用なモノは売っていない。
そもそもインスタントコーヒーという物体があまりメジャーではないか、もしくは和製英語であるらしく、
俺が欲しかったモノをパーカーたちに延々と説明しなきゃならんハメになった。
 
ところでこのカップ、24オンスである。
1oz(オンス)は約30mlだから、24オンスは720ml。
つまり500mlの缶やペットボトルよりも量が多い。見た目にも明らかにデカい。
 
アメリカのコンビニには、日本でいえばマンガ喫茶やファミレスにあるドリンクバーのマシンが高確率であり、
備え付けのカップから好きなサイズを選んで好きなジュースやコーヒーを入れ、レジで清算するのだ。
最初は困惑したが、慣れるとなかなか便利なシステムである。
コーヒーの味もそこそこおいしく、いつでもホットが飲めるのも嬉しい。
こんな量を飲んだら胃が荒れそうなものなのに、実際にはそうでもない。
カフェインが薄いのかもしれない。
アメリカンコーヒーといえば薄いというのが定番だ。
確かに色々と薄いのかもしれないが、不思議と味は悪くない。
インスタントコーヒーをお湯で薄めたような味気ないものではないのだろう。
 
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昼過ぎ。
ひたすらギターを弾いて過ごしている。
 
パーカーは珍しく仕事に行った。職種はタイル貼りらしい。
ネイも今日は仕事だそうだ。食べ物か何かを配達して回る仕事。
ネイは学校を卒業して以来ずっとその仕事をしているおかげで、
外国はおろかオクラホマ州近辺から出たことがないと言っていた。
ひょっとしたら俺はネイが出会う初めての外国人、もしくはアジア人、さらには日本人なのかもしれない。
 
この家のもう1人の住人である青年は、チャンスというこれまた変わった名前だ。
チャンスは俺が最初にここに来た時にもこのバルコニーでぐったりと座り込み、
あまり誰とも会話している様子はなかった。ニヒルな性格なのかもしれない。
で、今日はそのチャンスも家にいない。
つまり、誰もいない。
まただよ。
また俺は外国で世話になっている家で、一人きりにされてしまった。
 
今日は強いサンダーストームが来る!という予報だったんだがなぁ。
さっきちょろっと雨が降っただけだ。
おいおいアテにならんなアメリカの天気予報は。
でも、実際にひどい天候に遭う時はきっと来る。用心しすぎるぐらいで丁度いい。
 
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家に誰もいないスキに洗濯をし、シャワーも浴びる。
それでも時間がありそうなので一輪車をいじり始めてみたら、なんとパンクしていた。それも2ヶ所。
少しずつ微妙に空気が抜けていくなーとは思っていたが、やっぱりか。
しかし2ヶ所とは思わなかった。
まあ、今で良かったよ。今ならじっくりと時間をかけて万全の修理を施すことができるからな。
 
そんな修理中、どこかに行っていたチャンスが帰ってくる。
 
「パンクかい?直りそうかい?」
 
そう聞いてくれている。ようだ。
彼の英語は聞き取りにくい。スピードや使う単語に英語初心者向けの配慮がないからだと思う。
だが、ここはアメリカなのでそれはしょうがない。話せないこちらの問題だ。
それはそうと、チャンスとマトモに会話したのはこれが初めてかもしれない。
ニヒル一辺倒なヤツかと思っていたが、案外いいヤツなのかもな。
 
チャンスが去ったと思ったら、今度は隣の家から女の子が来る。
初日に会った、あの露出高めでよく笑う彼女だ。
隣の家もまたここと同じように若者たちのシェアハウスになっているようで、彼女はお隣さんだったのだ。
俺はてっきりパーカーに会いに来たのかと思い、ヤツは仕事でいないんだと言ってあげるが、
彼女の目的は意外にもネイなのだった。
今日引越しするからネイのクルマで家具を運んで欲しい、というような用件らしい。
 
へー。彼女、隣の家からどこか別の家に引越しするのか。
昨夜パーカーがチラッと、彼女とは以前付き合っていたようなことを言っていたが、何か関係あるのかな。
まぁそんなヘタな推測はやめにして、引越しをするなら俺も手伝おうか。
そして俺は、彼女の部屋からデカいソファを運び出すことになるのであった。
 
今日は雨が降るだけあって肌寒い。
引越しの手伝いのあと、たまたまバルコニーでチャンスがギターを弾いていたので話しかけてみると、
途中からなぜかベンチャーズのイントロを教わる流れになる。
根気強く教えてくれたおかげでどうにか弾けるようになり、ちょっと嬉しい。
 
そんなことをやっている間に珍しく仕事に出ていたパーカーが帰還。
仕事といってもほんの数時間だったなー。
彼いわく、ほんの時々仕事をするだけで極力働かないのがモットーなんだそうな。
自由が一番。ヒッピーなんですねぇ。
 
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そのうちネイも帰ってきて、これで庭にミュージックハウスに住む3人がそろった。
ちょうどチャンスとギター談義をしていたところだったので、パーカーとネイも入れて話がふくらむ。
俺が気になっているのはいつか作るであろう動画のBGMのことだ。
そうだ、BGM作りにネイやチャンスも巻き込んでみてはどうだろう。
 
話を振ってみると、連中は乗り気だ。意外なほどに。
ネイはベースとドラムがやれると言うし、
チャンスはギターのみならず、録音した音楽のミキシングもできるそうな。
そしてボーカル兼ギターのパーカーはといえば、突然インスピレーションが湧き始めたらしい。
紙切れとボールペンを手にし、芝生の上で勢いよくデスバレーの2番を書き始めるではないか。
 
おおっ、どうやらこのメンバーでのセッションが実現しそうな予感だ。
これはおもしろいことになってきたぞ!
 
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チャンスの部屋にはたしかにミキシングの装置らしきものがある。
へー、チャンスってこういうヤツだったのか。
 
そんな彼の仕事は移動ホットドッグ売りだかなんだかだそうな。
ニヒルっぽい彼が笑顔でスナックを販売しているのかと思うとちょっと見てみたい。
 
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なぜかある、痛みのない歯医者の看板。
この古さで痛みがないというのはきっとウソだ。
歯医者を簡単に信用してはいけない。
どこから拾ってきたんだろうな、こんな看板。
 
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外がすっかり暗くなった頃、レコーディング開始。
 
今さらながら近所迷惑が気になるが、両隣はここと同じシェアハウスと空き家で、
道を隔てて正面の家には有名な画家が住んでいるそうだ。おいおい大丈夫か。
まあ正面といってもアメリカだけにだいぶ距離があるので大丈夫…と思いたい。
 
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完成したデスバレーを歌うパーカー。
 
1番は「貧乏だけど君が好きなんだー」みたいな歌詞なのだが、
さっき即席で作った2番は、
「ユニサイクリストを拾ってマクドナルドでナゲットを食ったがちょっと多かったー」というような内容だ。
つまり、俺のことを歌っている。そして1番の歌詞とまるで関連性がない。
いいんだよそれで。
 
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ネイのベースも意外と言っては失礼だが、なかなか味わい深い。
淡々としたフレーズを黙々と引き続けるのはいかにもネイらしいと思う。
 
チャンスはてっきりエレキを弾くのかと思ったら、シンセサイザー係になったようだ。
曲に合わせてポヨーンポヨーンと怪しい音色を大音量で響かせている。
煙のせいだろうか。深く考えてはいけない。
 
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一発勝負の録音。
そしてこれが、最高の出来だ。
即席バンド、名づけて『LYMPH NODES』。
 こいつら素晴らしいよ。ちょっとどっかでデビューしてこいよ。
ちなみにLYMPH NODESの意味は『リンパ節』。なんで?
 
盛り上がったデスバレーのレコーディング後も、夜中にもかかわらずセッションは続くのである。
この時間ならもう近所迷惑は必至だろうなぁ。
どうもすみません近所の方々。
 
しかしこいつらには本当に悪い言葉ばっかり教わるハメになった。
パーカーがよく言うファッキン(クソ!)とかシットフェイス(クソ顔。泥酔)とか。
チャンスの口グセのダーン(クソ!)とか。
 
なんせ、単語の前にaやtheを付けるような感じでファッキンを付けないと気が済まないような連中だ。
きっともうそのリズムがクセになって脳に刷り込まれているのだろう。
困ったのはそんな汚い英語が俺にもちょっと移りかけていることだ。
なんか言いやすいんだよな、ファッキンポリース!とかって。
ヤバいヤバい。
明日、この家を出たら気をつけなくては。
 
 
オチも何もない動画なので、この場の雰囲気を察したら適当なところで切り上げたほうがよい。
 
深夜になっても外に響く音楽に誘われたか、どこからともなく若者たちが入ってくる。
会ったのが2度目以上の人もいるみたいだが、もう俺には誰が誰だかさっぱりわかっていない。
少し言葉を交わしたあとは、一緒にテレビを眺めるだけだ。
さっきから連中は俺にアメリカのクールなバンドとはどんなものかを知らしめるべく、
テレビでミュージックビデオを片っ端から流してくれている。
正直もう結構眠いのだが、せっかくなので拝聴いたしましょう。
 
0時を回っても宴はまだまだ続きそうだ。
俺は明日には出たいので一足早く寝かせてもらうことにする。
リビングはまだ皆さまがダベっているから、今日こそは外で寝かせてもらおうか。
それとなくザックから寝袋を引っ張り出し、バルコニーのソファで横になる。
うん、思ったより寝心地は良さそうだ。
 
名前を知らない女の子が中から出てきて、「うるさくしてゴメンね。」みたいなことを言ってくれる。
気にする必要はないよ。
ここは彼らの家で、いつもにぎやかなミュージックハウスなのだから。
レコードの音楽と、怪しい煙がいつも漂う家。
ここで過ごした3日間。
 
ほんと、最低で最高なヤツらだ。