6月5日 時代に忘れられない

 
昨夜もひたすら汗をかいた。
 
シーツが不衛生なおかげでブランケットを使えず、汗を吸いにくい寝袋をかぶっていたので余計か。
しかし腐っても宿。体調はそこそこ回復してきたかもしれない。
だがまだ油断できない感じもするので、今日もできればコロンバスでモーテルに泊まりたいものだ。
なんせここでは結局シャワーも洗濯もネットもできなかったからな。
 
そう遠くはないが、大きな街みたいなのできっとまた市街地が長くてうんざりするのだろう。
そこでモーテルがスムーズにみつかるといいけど。
 
さあ、とにかくこのなんともいえないハミルトンのモーテルはとっとと出発だ。
普段モーテルを出る時はもうちょっとゴロゴロしていたいと思うものなんだが、
今回ばかりは何の心残りもなくクイック脱出である。
 
イメージ 1
 
ハミルトンの町を出ると、劇的に傾斜が緩くなった。
しかも下りがメイン。これはいい。
たとえ坂が多くても、傾斜が緩くて下りメインなら一輪車にとっては最高だ。
そしてあっというまに次の小さな町、カタウラに到着。
坂のおかげで今までのジョージアでの苦労は何だったのかと思うぐらいに快適であった。
  
しかし、体調はどうもまだ完全ではない。
寒気がうっすらするし、内臓も軽く痛む。
目もパッチリとは開かない。なぜか左ふくらはぎがよく攣る。
やはり今日も宿で休むべきだろうな。
今やもうそれだけが楽しみだ。今夜は都会でうまいものでも食おうか。
 
ところでこの道中では、どうしたことかよく人に声をかけられる。
最初に会ったトラックに乗った陽気な2人組の兄ちゃんたちは、
 
「ウチでシャワーでも浴びていくか!?」
 
などと誘ってくれた。
夕方以降なら考えたところだが、日中にシャワーを浴びてもしょうがない。
それ以上に今は早くコロンバスに着きたいので申し訳ないがおとこわりする。
 
次は女性だ。
道は良くても体調はイマイチだから、今日も休憩が多い。
気温は暑いハズなのに悪感が抜けない。
身体の左右の偏りがいつもよりひどく感じる。
だから数百メートル進んでは、道端にゴロンと横になってしまう。 
そんな時に声をかけてくれたこの女性は、
俺がとりあえず大丈夫そうなことがわかると、なぜかガムをくれて去って行った。
 
よし、なんとかコロンバスまであと5キロのところまで来た。
もうすぐだ。だが連続稼働はできない。
またしても路肩でぶっ倒れていると、そんなところでまたクルマに遭う。
大丈夫かと聞かれ、OKと返す。
いつものパターンだが、でも、あれ?
このおじさん、たしかついさっきも声をかけてくれた人じゃないか?
そのおじさんは反対方向から来たハズだったが。
 
「さっきも寝ている君を見つけて声をかけたんだが、また会ったね。本当に大丈夫か?」
 
ああ、やっぱりさっきの人か。
どこかに行く途中で寝ている俺をみつけ、帰って来る途中でまた別の場所で寝ている俺をみつけたらしい。
そりゃ気にもなるよな。
 
「ちょっと調子が悪くて。でも今日はコロンバスまで行ったらモーテルで休むつもりです。」
 
「風邪かね。それは大変だ。しかもその一輪車でアメリカを横断中とは!
 私も自転車が趣味なんだが、これは興奮させらるね。
 よかったら、今晩のモーテル代を私に出させてくれないか?」
 
「いえいえそんな。大丈夫ですよ。コロンバスももう近くだし、なんとかたどり着けます。」
 
「そうか…、それはそうと、君の英語には日本語の訛りがあるね。
 実は、私の妻は日本人とアメリカ人のハーフなんだよ。
 そしてウチには今、日本人である彼女のお母さんがいるんだ。
 ぜひ彼女に会わせたい。ちょっとウチで休んでいかないか?」
 
ほう、こんなジョージアの山奥に日本人がいるとは!
そういえばこの旅で日本人に遭遇したことは一度もないし、
これは避けては通れない縁というやつかもしれないな。
よし、ここは思い切ってこのフィルと名乗る紳士について行かせてもらうとしよう。
 
イメージ 5
 
彼の大きなピックアップに乗ってメインロードをはずれ、
よくわからん道をグネグネ進むと、ほどなくしてフィル家に到着。
静かな林間に佇む美しい邸宅だ。
 
イメージ 2
 
さっそく中に通される。
まんなかがフィルで、左にいる女性が噂の日本人、サチコさん。右の男性は彼女の息子さんだ。
サチコさんは88歳という年齢だがシャッキリしていて、何より日本語が上手なことに驚く。
 
日本人だから日本語が上手なのは当たり前だと思うかもしれない。
しかし彼女は1951年にアメリカ軍人と結婚して渡米し、以後ずっとこの地で暮らしてきたのだ。
そのせいか彼女と会話していると、日本語の語彙が古いことに気がつく。
たとえばトイレのことを『ご不浄』と言ったり。
夫はもちろんハーフである実の子どもたちもまったく日本語を話さないという環境で、
彼女は60年以上、自身の日本語能力を維持してきた。
インターネットなどありえない時代に、これはすごいことではないだろうか。
 
そんなサチコさん、ひさびさの日本語会話を楽しんでくれているようだ。
俺のためにわざわざ米を炊いてくれて、日本茶まで出してくれる。
そして何より、俺の体調のことをとても心配してくれているようだ。
日本人とちょっとお喋りしてすぐお暇するつもりだったが、
どうやらそんなことは許されないような雰囲気になってきているかもしれない。
 
「いや、もう大丈夫ですよ、熱も下がってきたし…」
 
などと言おうものなら、
 
「ちゃんと治るまでここで休んでいきなさい。」
 
ジーッと目を見てそう言われるのだからたまらない。
フィルも熱心に今日は泊まって行けと言ってくれるし、
この左右からのサラウンド攻撃を受けてしまってはもう出発はできそうにないと悟る。
 
イメージ 3
 
そんなわけで、フィル宅の客室をあてがわれるのであった。
うわぁー、テネシーのベリー宅同様、ここもまた立派なお部屋ですこと。
こんなところに俺みたいなのが寝るのは本気で憚れるところだが、
今はとにかく休んで体力を回復させるのが最優先だ。
縁に感謝しつつ、まずは昼寝させてもらおう。
 
この数時間ほどの昼寝のおかげで、少しラクになった。
と言いたいところだが、なんだか逆に熱っぽくなってきたようだ。
安全な寝床が決定したことで気が緩んだか。
 
イメージ 6
 
それでもずっと寝ているほどではないので、フィルに誘われてお宅見物ツアーを開始。
どういうわけかアメリカ人というのは客に自宅を隅々まで公開するのが好きなのだ。
 
ちなみに写真の奥に見える小屋はとても古いモノらしい。
黒人奴隷の時代からあるとかなんとか言っていたような気がする。
そっか、南部といえばプランテーションと黒人奴隷だ。
思わぬところでアメリカの歴史を感じてしまった。
 
イメージ 4
 
フィルのガレージ。
 
クルマ、オートバイ、自転車などいろいろ置いてあるが、彼のお気に入りはなんといっても自転車らしい。
俺の36インチユニより軽そうな高級ロードバイクがあったりする。
ひょっとしてフィル、金持ち?
写真のこれはものすごくタイヤが太い特殊な自転車。漕ぐのはさぞかし大変だろうよ。
 
イメージ 7
 
出た、アメリカ名物、自走型芝刈り機。
 
日本でこのタイプが必要なお宅はメッタにないだろうが、この辺ではわりと普通のアイテムだ。
なんせ普通に持って歩く草刈機じゃ何時間かかるかわからんぐらいの広大な庭がある。
興味があるなら乗ってみるか?と言われたが、
今の朦朧とした意識で小屋を破壊したりフィルを轢いたりしてはマズいので丁重にお断りする。
熱がなければちょっと乗ってみたかった。
 
イメージ 11
 
今夜は偶然にも、フィルの娘さん(長女)のバースディパーティーの日だった。
 
フィルとその奥さんでサチコさんの娘さんでもあるドッティ(左)の間には子どもが3、4人いるらしい。
そのうち近くに住んでいる長女次女やその子どもたち(つまり孫)、
他にもなにやらいろんな親戚などなどが大挙してフィル宅にやって来る。
 
ここって大家族だったんだな。
そして毎度のことながら人の名前があまり覚えられない俺。
またえらいところに居合わせてしまったものだ。
 
イメージ 12
 
このまんなかの美人さんが本日の主役である長女さんなのだが案の定名前を忘れてしまって申し訳ない。
今は結婚して子どもも2人ぐらいいるらしい彼女、
学生時には校内のミスコンでグランプリに輝いたという評判の美女であったそうな。
 
ああそういえば、彼女はアメリカ人と日本人のクォーターということになる。
言われてみれば…いや、アメリカ人にしか見えん。
 
イメージ 9
 
サチコさんはなんと、いなりずしを作ってくれていた!
パンとコーヒーと一緒にいなりずしを食うのはもちろん初めてだが、これがとてもうまい。
素晴らしい。素晴らしいよサチコさん!
 
日本語と同じく日本の味というのも忘れがたいものなんだな。
そんなサチコさんが今食べたい日本食は、甘納豆、羊羹、おでん、やきそばなど。
その程度のもの、なんとか食べさせてあげたいものだ。
無事に帰国できたら送るとしよう。
 
イメージ 10
 
激甘そうなアメリカのバースデーケーキといなりずしが並ぶ図。
しかし皆さん、ごくあたりまえのようにいなりずしを食べる。
一族はみんなアメリカ人にしか見えないにもかかわらず、
サチコさんのおかげで日本食に対する免疫は普通に備わっているらしい。
 
サチコさんの旦那さんは少し前に亡くなられており、彼女は今やこの一族の長老だ。
アメリカの習慣なのか南部の習慣なのかは知らないが、
ここの人々は老人をとても大切にし、敬っている様子が見て取れる。
訪ねてきた子どもや孫などの親戚はまっさきにお婆さんのところへ行って抱きしめるのだ。
ふーん、こう見るとこういう習慣も良いものかなと思う。
 
イメージ 13
 
さんざんご馳走を食べて、最後にダメ押しで登場するケーキ。
やはり激甘であった。アメリカのケーキはとにかく甘い。
これはまだ色が普通だからマシなほうだが、
スーパーに行くと緑とか青色のケーキがバンバン置いてあってほとんど食い物に見えないレベルだったりする。
 
リビングで盛り上がる若い孫チームをよそに、
年配チーム(プラス俺)がトドメのケーキを食べる様には多少の疲労感がにじむ。
さすがのアメリカ人でも甘過ぎるモノはやっぱり甘過ぎるのではないだろうか。
 
イメージ 8
 
ほどよい時間に誕生会はお開きとなり、
そういえば病人扱いであった俺も早々に休ませていただく。
で、フィルがこんなものをくれた。
軍用の携帯食料…?
あれこれ持たせようとしてくれるフィルに重いモノは持てないと言ったら出してきたのがコレだった。
ま、まあ、これならなんとかザックに押し込めるだろう。
 
ああ、それにしても今日は急展開の一日であった。
コロンバスの街をひたすら目指していた途中で親切な人に拾われ、さらに日本人に遭遇するとは。
おかげで今日の後半はほぼずっとサチコさんとの日本語会話に終始したな。
 
彼女の旦那さんは戦後も日本に駐留したアメリカ軍の元MPで、
あの有名な巣鴨プリズンに収監されていた東条英機とも関わった人物だそうな。
それはすごい話だな、日本史的に。
もし存命ならお会いしたかった。
 
サチコさんとは明日もまた話す機会があるだろう。
なんせ明日は出発できないことがほぼ決定してしまった。
なぜなら、明日はこの家にテレビの撮影が来るからだ。
フィルだ。フィルが呼んだに違いない。確実に。
一輪車でのアメリカ横断というスタイルをやたらと評価してくれてたからな彼は…。
 
夜になるとやはり少し熱が上がる。
快適なベッドでありがたく寝かせてもらおう。