ほんのり後日談

成田空港に着陸してしばらくすると、ふいに携帯の電波が回復する。
 
1ヶ月もネットのない生活をしていたのでさぞや大量のメールが来るだろうと思ったら、それほどでもない。
俺って淋しいヤツなんだな…。
 
飛行機を降りてとりあえず生還のメールをいくつか飛ばした頃、電話がかかってきた。
おっと、これはおそらく彼だな。東京のヲッカさんだ。
事前情報どおり、空港まで迎えに来てくれたらしい。
 
俺がどこかに旅に出ようとする時に行き先をあまり人に教えたりしない理由は、
自分でもギリギリまで本当に行くかどうかがわからないからである。
そんな俺の帰国日をヲッカさんが知っていたのは、彼が偶然キューバ行き直前にメールをくれたからだ。
そしてキューバのことを話した流れで帰国の際には迎えに行くかもと言ってくれたわけなのだった。
 
ところで、彼と初めて出会ったのはもうずっと前、2004年のことである。
サハリンをバイクで走った関係でネットを通じて知り合ったのが最初だ。
そして顔を合わせたのはその時だけで、それからもう8年ほども何の連絡も取り合っていなかった。
そんなヲッカさんがおもむろにメールをくれた理由はなんと、
 
『とてもひさしぶりに日本に帰ってきたから。』
 
彼はこれまでずっと、海外をクルマに乗って放浪していたというのだ。
聞けば行動範囲も異様に広く、中央アジアを股にかけてあちこちさすらっていたらしい。
小国キューバを左から右にちょろっと走ってきただけの俺とはえらい違いである。
 
しかしそんなヲッカさんはなぜかサハリンの頃から俺の旅の仕方を気に入ってくれているようで、
今回のキューバなど、無事に帰ってきた時のためにご褒美まで用意してくれていたのだった。
 
ふたたび大荷物を手にして到着ゲートから出た瞬間、8年ぶりのヲッカさんと対面。
彼は写真を撮られるのが苦手なので俺も顔の記憶はおぼろげだったが、
そういうのはたいがい実際に見ればちゃんと思い出すものだ。
 
しっかり再会。
ちゃっかりユーロを円に両替。
そして彼が運転するクルマは俺を乗せて成田空港を脱出し、一路東京へと向かうのだった。
 
ちなみにロシア語がペラペラで8年前はたしかロシア関係の事業をしていたハズの彼。
大冒険から帰国した今はなぜか、
 
秋葉原でメイドリフレの経営者になっていた。
 
メイドリフレと言われても正直よくわからないのだが、
どうやらメイドさんが本格的なアロママッサージをしてくれるという店らしい。
そして彼は俺のキューバ出発直前、
 
「帰ってきたらメイドリフレを体験させてあげるよ!」
 
そう言ってくれていたのだ。
これがまさにご褒美と言わずしてなんであろう。
 
俺がキューバでどんなにしんどい目に遭った時も、
無事に日本に帰り着きさえすれば、可愛いメイドさんが疲れを癒してくれるのだ!
そう思えばこそ乗り越えてこられたのである。
わりとマジで。
 
そんな秋葉原のメイドリフレ。
彼は本当に体験させてくれましたよ!
こんな俺のためにわざわざイチオシの可愛らしいメイドさんを呼んでおいてくれて、
さっそくアロママッサージの施術開始である。
 
おおっ、ちゃんと資格をもったメイドさんのマッサージは話に聞いたとおりに本格的だ。
この世の極楽。
生きて帰ってきてよかったー。
もう本当にこれだけが楽しみでね…。
それにしてもやっぱ俺、キューバで結構疲れてたんだなぁ。
 
たぶんそんなことを考えていたようだが俺は途中で寝てしまっていたらしい。
マッサージ中に気持ちよすぎて寝てしまうというのはよく聞く話だが、ここはあくまでメイドリフレの店なのである。
客は可愛いメイドさんとの会話を楽しむためにやって来るのであって、寝るようなヤツはクズ以下だ!!
 
「フフッ。施術中に眠ったのはあなたが初めてですー。」
 
みたいなことを愛らしいメイドさんに愛らしく言われ、
 
「あ、すいません。」
 
と謝っておく素直な俺なのであった。
 
思い出したが8年前など、俺はこのヲッカさんに連れられて人生初のロシアンパブに行ったりもしたのだった!
そこでも本当に何をどうしていいのかわからず、あの時の俺はたしか、
綺麗なロシアお姉さんの似顔絵を描いたりしてどうにか乗り切ったりしたんだった。
8年経っても人間ってそんなに変わらないものなんだな…。
 
それはともかく。
ロシアンパブといいメイドリフレといい、
俺の人生最初で最後クラスの貴重な体験をバンバン与えてくれるヲッカさんという人物は、実に謎が多い。
そして俺の人付き合いの基本方針として、謎が多い人は謎が多いままにしておくのである。
 
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可愛いメイドさんはアロママッサージをしてくれるのみならず、俺のために料理まで作ってくれるのだった!!
ヤバいなこれ。そりゃお客さん来るのわかるわ。
秋葉原ってなんてシャープなトコロなの!?
俺は心底、東京が怖い!
EAT ME!!
 
そんなメイドさんの心温まるトークとマッサージと手料理のおかげで、
つい10数時間前までキューバという島で味わってきた数々のダメージは見事に解消されてしまった。
 
平和な気分でメイドリフレを後にし、あとはヲッカさん宅で一泊させてもらうのみかな?と思っていたら、
今度は行きつけの中華料理店に連れて行ってくれるという。
メンツはヲッカさんと俺、そしてヲッカさんの友人である中国人の女性なのである。
 
その彼女がまたいい人で、日本語はあまり話さないのだが、俺のことをあれこれと優しく気遣ってくれる。
中華料理店は中国人の経営らしく味とボリュームは最高で値段は安く、
また彼女が中国人のウエイトレスさんに中国語で注文してついでに雑談などもするため、
さっき帰国したばかりの俺としては今一体どこの国にいるのかわからなくなってしまうのだ。
 
美味しい中国料理をご馳走になった後は、さらにヲッカさんと二人でショットバーへ。
バーということで調子に乗ってモヒートを作ってもらったら、
ハバナで飲んだものとは少し違う感じのカクテルが出てきた。
詳しくないのを承知で書くと、ラム酒にミントの葉っぱを浮かせているだけのように見える。
ハバナのモヒートはミントっぽいが微妙に違う草を、グラスの中でゴリゴリと潰して作っていたものだ。
本場のモヒートを飲んだ体験というのは意外と貴重だったのかもしれないと、今になって思う。
 
飲みながら、ヲッカさんと旅について語り合う。
キューバの話は何かしたかもしれないが覚えていない。
覚えているのは、彼の旅の話である。
 
彼は謎の人物だが、旅に向ける情熱にはとても真摯なものを感じる。
実際、彼がこれまでやってきたことは俺などとは比較にならない。
無数のロシア、アジア方面への旅のみならず、アフリカや南極、なんと北朝鮮にまで入っている。
やはり大陸を知る人はスケールがデカい。俺が行くのは島がほとんどだ。
 
それほどの旅人なのに、彼はその経験を写真や文章で残す気はないそうだ。
そこもまた俺との違い。
旅を志す気持ちにおいては、彼のほうがよほど純粋なのではないかと思う。
 
そしてそんな彼が語る旅の話は徹頭徹尾、生半可なものではない。
惜しくもロシアで殺されてしまった日本人の旅人の話。
アフリカで出会った少年兵の話。
これまでのんきに海外旅行を楽しんできた俺には、それらの全てが衝撃。
見てきたもの、味わってきたものの質感が、自分のそれとはひたすら異なる感じ。
俺はいつかこんな経験をすることがあるのだろうか。
果たしてここまでの旅をしたいのだろうか。
 
……。
 
自慢じゃないが、俺は夜遊びには向いていない。
丹念にマッサージをされて中華料理屋でビールを飲んでショットバーでさらに飲んでしまったらもう、
俺の意識などはすでに明滅状態だ。いつどこで寝てもおかしくない。
バーからヲッカさん宅に戻った道筋はよく覚えておらず、
布団を敷いて寝かせてもらって気づけば翌朝だった。
 
東京から北海道へ帰る飛行機は今日の午前中に出る。
またしてもヲッカさんの手をわずらわせて、ふたたび成田空港へと戻ってきた。
成田空港から一息で旭川空港へ。
つくづく便利な時代である。
 
空港では懐かしき日本の味代表の蕎麦までご馳走になり、
ヲッカさんには最後まで本当にお世話になってしまった。
2枚買ったゲバラTシャツのうちの1枚は彼に渡そうと決めていたのだが、
酔っ払っていたせいか見事に忘れており、後から送ったのはここだけの話だ。
 
時間がなくてゆっくりとお礼も言えなかったのが悔やまれる。
どうもありがとうございました!
 
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現代文明はすさまじいものだ。
窮屈なシートに挟まっているうちに、ここはもうあっさりと旭川である。
 
雨が降ってるなぁ。
そして7月なのに寒い…。さすが北海道…。
 
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なんで滑走路内を歩かされたのかは最後までよくわからなかったが、まぁ貴重な体験であろう。
あー寒っ。
 
ここでまたしても俺を出迎えてくれたのがヨッシーという男で、
そういえば出発する時も送ってもらったんだったな。
そういえばアイスランドに行く時もそうだったな。
そういえばアイスランド経由で神戸から帰ってきた時もだったな。
そういえばパプアニューギニアから生還した時にもなぜか成田にいたよな。
 
そんなわけで、ゲバラTシャツ2枚目は彼にやる。
 
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ついでに安物のハバナクラブでキューバ・リブレを作って飲ませてやる。
ラム酒は日本で飲んでもあいかわらず強く、俺は途中でボトルごと彼に任せてさっさと寝た。
 
この1ヶ月で日本は大して何も変わっていなかった。
俺の家もちゃんとあったし、隣の家から苦情が来るので心配していた庭のタンポポもさほど繁茂していなかった。
それはすなわちキューバの旅が成功に終わって俺は帰ってきたということだろう。
ここからまた、普通の生活が始まる。