いつか変わるもの

 
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年末年始は、例年のごとく新聞屋の手伝いに駆り出されていた。
 
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そうは言っても、こうした手伝いは今回が最後だ。
所長が亡くなったのを期に、この店もついに閉める時がきたから。
 
俺が学生時代の4年間をイヤイヤ過ごしたこの店がついに人手に渡る。
当時から大して変わらないこの店の中核メンバーも今後はそれぞれの道に分かれる。
 
これまでブログや旅日記で何度か書いてきたことだが、
ハタチ前後の俺にとって、ここでの新聞配達生活は、実に不自由かつしんどいものだった。
 
朝は2時半起きで朝刊配達。昼は学校から早く帰ってきて夕刊配達。
月に一度だけ新聞休刊日というものがあるくせに、その日は必ず夕刊がある。
よって、朝刊も夕刊もないという完全なる休日は、当時は1月2日だけであった。
 
おかげでキャンパスライフというオシャレなものを味わう余裕もなく、大学では寝てばかり。
夢の合コンに誘われることもメッタになくて、たまに飲んだら翌朝の配達は誤配の嵐。
今でも大学生活といえば、教授の研究室でバイトをしていたこと以外はほとんど覚えていないという有様だ。
 
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プレスカブで行ってきます!の図。
 
新聞屋で働きはじめてすぐ、原付の免許を取った。
自転車での配達があまりにキツく効率も悪かったからだが、
思えばこれが今に至るまでしつこく続いているバイク人生の始まりである。
 
このプレスカブ50という車種が俺にとって最初のバイクで、今でも乗ればすぐにあの頃の勘を取り戻す。
おっっそいけど、働き者なんだよこれが。
 
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このプレスカブからは、バイクに関する、いやそれだけじゃないことを、たくさん学んだんだ。
 
コカしてあちこち壊しまくったし、事故って廃車にしたし、骨折もしたし。
血だらけで帰ってくるしオマケに配達はミスりまくりだし。
いやー、よくこんな使えないヤツを4年間も雇い続けていたなこの店。
感心するわ。よほど我慢していたに違いない。
 
まぁそう思うので、その後もお呼びがかかったらできるだけ手伝いに行ってたんだよ。
フフ。
 
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当時の俺が信じられないほどアホだったということを自覚できた時点で、
その後の15年の生き方がそんなにマズいものじゃなかったのかもしれんと思うことはある。
 
今年も初日の出は特にどうでもよかった。