5月20日 5ドルを受け取ってください

 
プラマービル郊外の、人の家の庭。
6時には起きて静かにテントを撤収し、
誰にも見つからずに出発しようと思っていたらちょうど家から出てきた奥さんに見つかった。
あーあ。よりによってあの奥さんかよ。
とりあえず、ニコヤカに手を振っておく。
一晩ありがとう!さらばだ!!
 
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ほどなくしてコンウェイの街に到着。
スーパーでよくわからないイタリアンサラダロールっぽいものを買う。ちょっと辛い。
 
昨日はラッセルビルという街でしんどい目に遭ったのでコンウェイも抜けるのに苦労するかと覚悟していたが、
この街は大きい割には意外とスルッとスルーできた。
スーパーのトイレを借り、同時に水と食料も買う。
これで出し入れの用事はすべて済んで完璧。
理想的な町の活用法だ。
 
このコンウェイで会話した人物は2人。
1人は通りすがりの元カリフォルニア在住という男。
カリフォルニアはサイドウォークがクレージーだ!とかよくわからないことを言っていたような気がする。
アメリカ人ってホント、クレージーという言葉が好きだ。
ヴァン・ビューレンで朝食をご馳走してくれた方のクリスもリトルロックの人間はクレージーだ!と言っていたし、
別の場所でもテキサス人はクレージーだ!などとよく聞いた。
つまり、ヨソ者や理解の及ばないモノをクレージーと言う言葉で片付けるのが習慣づいてるんだろうな。
 
ここで会ったもう1人は、警官。
パトカーで一旦通り過ぎたが戻ってきて、スーパーの駐車場で話しかけられる。
こりゃついに職質かとも思ったが、なんのことはない。結局いつもの世間話のみ。
パスポートを見せろとも言われず。名前すら聞いてもらえず。
ま、色々と探られるよりはよほどありがたいんだけどな。
 
  
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コンウェイの出口付近で走行2000キロ達成。
 
最初の1000キロはケガだの強風だのとあってなかなかキツかったが、
次の1000キロは最初に比べれば順調に走れたと言える。
一輪車でアメリカを走るコツを少しずつ掴んできたということかもしれない。
 
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下道は路肩が狭いので、休憩と言えば茂みの中が多い。
綺麗な花が目につく。見慣れない花だと思う。
でも自信がない。日本にも普通に咲いている花かもしれない。
俺の花に関する知識と関心はその程度のものなんだなと悟る。
草原に座る時は、必ず周囲にヘビがいないかどうかを調べる。
 
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何もない道の途中でおもむろに出現したカフェ。
海辺でもなんでもないのにパロットビーチカフェ。
ウィリーしているバイクは、ネットで聞いたらKawasaki EN500 であろうという説が有力。
 
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じゃあこっちは何なんだ。
タンクも塗られているので俺にはサッパリわからん。
 
途中、メイフラワーという名前の町を通過する。
アメリカ建国の歴史に出てくるメイフラワー号を想起させるし、なんだか美しそうな名前の町ではあったが、
実際に来てみると、そこは荒廃した町なのだ。
あちこちで煙が上がり、木切れや建物の残骸が散らばっており、重機が忙しく動いている。
しばらく観察していてわかった。
これは町の治安が荒んでいるのではなく、なんらかの災害に遭ったのだろう。
台風か、竜巻か。しかもほんの数日前。
怖ろしいことだ。
竜巻には気をつけろとあちこちで言われてきたが、生身でこれを食らってはもうひとたまりもない。
なるべく遭遇しないよう、天気予報をチェックしつつ、後はむこうに任せるしかない。
話は変わるが、メイフラワーではクルマに乗った女性から声をかけられる。
 
「あなた、スペイン語話せる?」
 
話せません。なんで俺をスパニッシュだと思った。
 
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着いたよ、リトルロック。
アーカンソー州の州都だ。
 
最後の20キロぐらい、急に路肩が完全になくなってしんどかったー。
これまでそこそこ順調な道のりだったくせに、いきなりハードモードになるのはやめてくれ。
今日も暑いし向かい風だし。ラクではなかった。
でも、リトルロックでは宿に泊まりたいと思っていたから、前に進めた。
やはり短期目標があると違う。
 
ところでリトルロック、何がビッグシティだ。
ただのフツーの大きな街じゃないか。言っちゃ悪いが大したことはない。
都会嫌いの俺にとってはこれぐらいの規模のほうが助かるけどな。
 
リトルロックの大通りを特に感慨もなく歩いていると、球場を過ぎたあたりで女性から声をかけられる。
クルマから俺を発見して少し先で待っていたようだ。
 
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彼女はステイシー。
うーむ、アルバカーキで出会った女性もステイシーだった。
クリスに続いて2回目の名前かぶりだな。
 
そんなステイシー、アーカンソーの自転車協会?っぽいところで働いているという職業柄、
一輪車で旅する俺を見過ごせなかったとのこと。
しきりに感激してくれたついでに、5ドル札を俺に握らせようとする。
 
「いやいや、お金は受け取れないんだ。」
 
「どうしても受け取って。おねがい。プリーズ。」
 
お金を貰うのにプリーズとまで言われたのは生まれて初めての経験である。
こうなってしまっては受け取らないとかえって失礼だな。
5ドル、約500円の受け渡しで何か変わるのだろうとも思うが、まあ気持ちが伝わるのだろう。
 
ステイシーには、リトルロックにあるモーテルの場所を教えてもらえた。
今進んでいる道をひたすらまっすぐ行くだけ。簡単。
簡単だが、彼女が真剣に注意してくることには。
 
「あのあたりのモーテルは安いけど、治安が悪いの。夜は絶対に外に出てはダメよ!」
 
ステイシーと別れ、言われたとおりにまっすぐに進む。
数キロ進んだところで街の雰囲気は確かに変わってきた。
建物はまばらで、ボロい。
ここはリトルロックでも郊外、都市の周縁にあたるエリアなのだろう。
 
ブロードウェイイン。
なんだか大層な名前のモーテルをみつけた。
特に気に入ったわけでもないが、この先にモーテルがあるかどうかもわからないので、
もうここに決めてしまおう。
 
建物の1階部分にある受付に入ってまず驚く。
フロントとの間に格子が張られている!
おいおい、そこまで治安が悪いのか。まるでパプアニューギニアだな。
オーナーはやっぱりインド人で、愛想がないというよりは、緊張感すら漂っている。
一泊45ドル。ちょっとした交渉の末に提示された値段だ。
どうやらこの宿では値段は人を見て決めているような印象を受ける。
それでもとにかく、チェックインはできた。
 
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部屋に入る時にみつかってしまった酔っ払いの白人客と黒人スタッフのために、
一輪車に乗ってみせたり乗せてみたりしてあげる。
右端は例のインド人オーナー。
格子越しのやりとりでは険しい表情だったが、
アホみたいなデカさの一輪車を見て少々心が和んでくれたらしく、ほんのりと笑顔だ。
 
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ステイシーの言いつけを守り、暗くなる前に買い物を済ませることにする。
すぐ近くにあるガスステーションまで歩き、食料を買ってさっさと戻ってくる。
 
モーテルに戻ると敷地内に若い黒人が座り込んでいて、
何かよくわからないことを話しかけてくるので何度か聞き返したら、
 
「クォーター(25セント硬貨)をくれ。」
 
とのことだった。
なんだおまえ、宿泊客じゃなかったのか。
宿の敷地内にまで物乞いがいるとは素晴らしい宿である。
そりゃインド人オーナーも気が立つわ。
 
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部屋に入り、しっかり鍵をかけて、ようやく落ち着く。
こんな物騒なエリアで野宿はまずムリだった。
早めにモーテルをみつけといてよかったな。
 
部屋でくつろいでいると、カーテンの隙間から窓の向こうに人がいるのが見える。
明らかに不審な黒人が、こっちに向かって何か言っている。
だがジェスチャーだけでも充分にわかる。
 
「クスリを買わないか。」
 
だろ。やっぱりとんでもない。ダメだここ。
もう一歩も外に出る気はない。寝よ寝よ。
 
カリフォルニアでスコットにもらった携帯に、知らない人からメッセージが入っていた。
携帯の持ち主が変わったことを相手が知らないのだろうと思いスコットに転送したところ、
彼からの返事は信じられない内容だった。
なんと、スコットの息子さんが昨日、亡くなったそうだ。
理由はわからないが、言葉もない。
黙祷。
あんなに良い人物だったスコット夫妻の子どもが亡くなった。
アメリカの路肩をクルマにビビリながら細々と一輪車で走っている俺は、まだ生きている。
今日の走行は74キロ。
生き様が交錯する。